2012年 03月 24日
摩耶観光ホテルについて25(資料22)
資料紹介22
摩耶ケーブル・奧摩耶ロープウェイの乗車券(半券)、1971・69年頃

乗車券 (表)1枚目

 摩耶観光ホテル時代に使用された摩耶ケーブル・奧摩耶ロープウェイの乗車券(半券)2枚。1枚目は表面の下部、2枚目は裏面に年月日と思しき記載があることから、使用されたのがそれぞれ1971(昭和46)年3月(日付は明確には確認できないが、おそらく20日代と推定)、1969(昭和44)年2月23日と思われる。当時ケーブルは阪神電鉄の傘下、ロープウェイは神戸市交通局による運行であり、別々の会社による経営であったが、これらの乗車券からして共通連絡切符が発行・使用されていたことが確認される。ただ形状から記念乗車券的な少数限定のものとも考えられる。
 構図はいずれも摩耶山中腹を中心にして、ケーブル・ロープウェイ、および周辺の「摩耶遊園地」・バンガロー・マヤカン・山頂部の施設などが描かれている。ただ1枚目が以前紹介した広告リーフレットと同じもので、写真をベースにケーブル等を着色付加したものに対して、2枚目はすべて描かれた絵画的なものとなっている。両者の差異としては、2枚目にのみ山頂部右側に展望台(虹のかけ橋)、ロープウェイ左側に天上寺の伽藍などが付加されている。以前紹介した広告等ではこれらの施設もすべて記載されているが、切符の形状から1枚目はこれらが描ききれない。こうした状況からして、おそらく2枚目は1枚目の構図を参考して、摩耶山の観光施設をすべて登場させるために後から作成されたものと想定される。ただし、前述した使用日については1枚目ではなく2枚目が2年ほど古くなっている。この点については、後述するマヤカンの状況と関連するとも想定される。

乗車券 (裏)1枚目

 裏面にシオノギ製薬の広告が記載されている。ポポンSを持っているのは仲代達矢か?

乗車券 (表)2枚目

 さてマヤカンについて、1枚目は西側の一部、2枚目は全体の2/3ほどが描かれているが、いずれも5階建てに増設された形状になっている(1枚目は以前紹介したリーフレットとほぼ一致)。ただし通説では、1967年夏の水害により営業停止したことになっているのに対し、切符の使用日は明らかにそれより後である。考えられる可能性として、一つはマヤカンが営業停止した後もこの図柄が使用されていた、もう一つとしては、実はマヤカンの営業停止が一部資料に記載された1971年頃であった、この2つがあげられる。ちなみに以前紹介したリーフレットもマヤカン営業停止と時期的に一致していない。この時期のマヤカンはケーブル会社の経営から離れてはいるが、それでも摩耶山観光において主要な集客施設であった筈である。もし営業を停止していたならば、マヤカンが描かれた図柄は使用しづらいであろう。この点では、使用日の古い2枚目がマヤカンを全体的に確認できるのに対し、新しい1枚目は構図的に注意しないとわからない程度に切られている。このことから、以下の想定が考え得る。前述のように、1枚目の図柄では切符の形状的制約から、リーフレットでは包含できたマヤカンや天上寺などの施設が入れられないため、これをベースに新たに2枚目の図柄が作成されたと思われる。しかしやがてマヤカンの営業が停止したために、それが目立つ2枚目の図柄がむしろ使用しづらくなった。この結果、マヤカンが切れてしまう古い1枚目の図柄があえて使用されるに至ったという可能性である。単なる考えすぎかもしれないが、これら切符はマヤカン営業停止前後に使用されたものであることは確かなだけに、マヤカンの構図の変化はそれを示唆するとも思われる。

乗車券 (裏)2枚目

 裏面にかつて瀬戸内海を中心した旅客航路を運行していた加藤汽船の広告が記載されている。その上部に使用日と思しき「44.2.23」と印字されている。

# by nk8513 | 2012-03-24 17:05
2012年 02月 17日
摩耶観光ホテルについて24(資料21)
資料紹介21
絵はがき「摩耶山ホテル View of M.T. Maya」、1935年頃?

絵はがき1 摩耶山ホテル View of M.T Maya

 摩耶山温泉ホテル時代の絵はがき。裏面にはタイトルおよび「POST CARD」とのみ印刷され、発行元を確認できる記載はない。「摩耶山ホテル」と題されているが、英語では「View of M.T Maya」となっている。これは元は摩耶山かあるいは神戸周辺をテーマにした絵はがき集の一枚であった可能性を示していると思われる。構図は以前に紹介してきたもの( 摩耶観光ホテルについて20摩耶観光ホテルについて15)と同様に、マヤカン南側からのものとなっている。発行年は例によって記載されていないが、以前から紹介しているケーブル摩耶駅からの木造の覆い付きの渡り廊下(1930(昭和5)年 完成)や、マヤカン前面の「野田山遊園地」の遊歩道(1933(昭和8)年 整備)などが確認できることから、およそ1935(昭和10)年頃と想定できる。色が単調で確認しづらいが、周囲の植物の状態から秋から冬の時期に撮影されたと思われる。上部右の煙突から黒い煙が出ていることが確認できるが、位置関係からおそらくこれは主に浴場用のもので、右際のものは主に厨房用のものかとも考えられる。摩耶山温泉などと呼ばれていたものの、実態は健康ランド的な施設であったことをこの煙突は示唆するものだろう。

絵はがき2 絵はがきの裏面

# by nk8513 | 2012-02-17 17:19
2011年 05月 05日
摩耶観光ホテルについて23(資料20)
資料紹介20
絵はがき集「摩耶山名勝」、赤西萬有堂、1935年頃?

 摩耶山温泉ホテル時代の絵はがき集。各絵はがきは白黒写真に彩色を施したもの。発行は、裏面に 「KOBE AKANISI」と記されており、以前と同様に「赤西萬有堂」と考えられる。枚数は8枚だが、このうちマヤカンのものを含めた5枚は、以前に紹介したもの(摩耶観光ホテルについて15参照)と同一である。その時はバラの状態だったので、全体の構成は不明であったが、残り3枚を加えた8枚セットだったと想定される。また8枚のうち、6枚はこれも以前紹介した絵はがき集「摩耶山ケーブルカー CABLECAR ON MOUNT MAYA」にベースとなる白黒絵はがきが入っている(摩耶観光ホテルについて10参照)。なおはがきの裏面に、以下にも紹介する「神戸名物 まやケーブル 摩耶駅」(4枚)および「摩耶駅」(3枚)のスタンプ印がおされており(1枚は無印)、特に「摩耶駅」には「11.7.1」と年月日と思しき数字が記されている。このことから、この絵はがき集は1936(昭和11)年7月1日前後に購入されたか、販売されていたと推測される。


カバー表紙


絵はがき1 (摩耶名勝)峻嶮のケーブルカー(Mayasan)Kebuka
 このベースとなった白黒絵はがきは、以前紹介した絵はがき集に入っていたもの(摩耶観光ホテルについて10参照)。


絵はがき2 (摩耶名勝)頂上摩耶駅(Mayasan)Chiyojyo Mayaeki
 これは以前紹介したものと同一のもの(摩耶観光ホテルについて15参照)であり、また絵はがき集にあった白黒絵はがきがベース(摩耶観光ホテルについて10参照)。


絵はがき3 (摩耶名勝)摩耶ホテル(Mayasan)Maya Hoteru
 彩色されたマヤカン。これも以前紹介したものと同一のもの(摩耶観光ホテルについて15参照)。この絵はがきのみ、裏面にスタンプ印がない。


絵はがき4 (摩耶名勝)小供遊園地(Mayasan)Yuenti
 以前に紹介した通り、マヤカンの下部(南側)に存在した絵はがき集「野田山遊園地」の光景(摩耶観光ホテルについて15参照)。


絵はがき5 (摩耶名勝)岐坂なる階段(Mayasan)Kaiban
 天上寺の石段。これも以前紹介したものと同一であり、ベースとなった白黒版がやはり以前紹介した絵はがき集に存在。


絵はがき6 (摩耶名勝)頂上の塔(Mayasan)Cuojyo Noto
 天上寺多宝塔。これも以前紹介したものと同一であり、ベースとなった白黒版がやはり以前紹介した絵はがき集に存在。


絵はがき7 (摩耶名勝)天上寺御本堂(Mayasan)Tenjoji Hondo
 天上寺本堂。右手前が多宝塔、左手前が摩耶夫人堂で、背後の山が摩耶山頂部(奥の院)。以前紹介した絵はがき集にベースとなる白黒版が存在。


絵はがき8 (摩耶名勝)奥の院(Mayasan)Okunoin
 天上寺奥の院。以前紹介した絵はがき集にベースとなる白黒版が存在。


絵はがき9 絵はがき裏面の「神戸名物 まやケーブル」印
 ケーブル会社製作と思われるスタンプ印。下部に阪神電車の線路が描かれ、最寄り駅として大石駅がその中心に記されている(あたかも同駅がケーブル高尾駅と直結しているようだが、実際にはバス等を使用するほど離れていた)。中央にトンネル入りのケーブル線、上部に天上寺、そしてマヤカン(煙突から煙を出す建物)が描かれており、左側に「ホテル・食堂 遊園地 温泉・完備」と記されている。


絵はがき10 絵はがき裏面の「摩耶駅」印
 右側に天上寺の多宝塔および木立が描かれ、その下に「摩耶駅」と記されている。左下にケーブルカー、中央部には摩耶山から眺められる海(大阪湾・神戸港)、および淡路島か泉州の山塊が描かれ、その上に前述した「11.7.1」と記されている(1936(昭和11)年7月1日か?)。海には船のシルエットが描かれているが、あるいは観艦式に参加した軍艦とも考えられる(神戸沖での観艦式は1930(昭和5)年および36(昭和11)年の各10月に実施)。

# by nk8513 | 2011-05-05 01:52


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