2013年 10月 29日

摩耶観光ホテルについて27(資料24)

資料紹介24
絵はがき「神戸摩耶山・まや山ホテル露台」摩耶温泉?、1930年頃

 摩耶山温泉ホテル時代の絵はがき。裏面には「摩耶温泉」と記されており、摩耶山温泉ホテルが発行していたものと考えられるが、やはりホテルが発行したと思われる絵はがき集「摩耶温泉土産」とは形態が異なっている。発行年は当然記載されていないが、「摩耶登山 6.4.4 記念(下段にローマ字表記でCable Carか?)」と記されたスタンプが押され、裏面の切手の消印に「6.4.6」となっている。これらのことから、1931(昭和6)年4月初旬に購入・使用され、絵はがき自体はそれ以前から発行されていたと思われる。さらに後述する状況から、絵はがおそらくケール摩耶駅からの渡り廊下が完成した1930(昭和5)年4月以降に作成されたとも考えられる。なお手紙は、摩耶山を訪れた差出人が俳句仲間に出したもので、差出人の住所は記載されていないが、受取人の住所は現在の神戸市中央区山本通となっている(実際の記載は画像処理)。

神戸摩耶山・まや山ホテル露台1 表面

 絵はがきのタイトル通り、マヤカンの4階部分の「露台」から東側を写したもので、奥に大ホール(余興場)の部分が、中央にセーラー服と思われる服を着た少女が景色を眺めるように立っている。こうしたマヤカンの屋上部分からのものは、これまで紹介したものでは、逆に大ホール側から西側を写した構図のものがある。そこには、今回と似たセーラー服を着た少女が登場しており、おそらくは同一人物と推測される。その意味では、形態・表記は異なるものの、これらが同じ日に撮影され、かつ後者では1930(昭和5)年4月に完成したケール摩耶駅からの渡り廊下が確認できることから、撮影日や発行もそれ以後と判断される。

神戸摩耶山・まや山ホテル露台2 裏面

 なお、絵はがきに登場するこの「露台」は、ホテルの4階部分(大半が大ホール)が一部屋外化されたものであり、廃墟化した現在でも類似した形態で存在している。しかし、第二次大戦後マヤカンが復活営業した当時は、この上部に増設(5階建)が施されており、この部分は「グリル」と表記された食堂・調理室として大半が屋内化されていた(その当時の状態 )。その後、マヤカンが「摩耶学生センター」の時代(1970年代中頃〜90年代前半)にこの場所で火災が起こり、営業を停止して廃墟となったと一部文献(『懐古文化総合誌「萬」臨時増刊号 廃墟の魔力』愚童学舎、1999)に記されているが、空中写真(国土交通省国土画像閲覧システム)・映画(ユー☆ガッタ☆チャンス)、および私の宿泊経験等から、実際には1970年代末から80年代前半に増設部分が撤去され、創建当初の屋外の形態に戻ったと判断される(大ホール部分はトタン屋根が設置)。この改装の要因は未確認だが、あるいは一部文献に記載された火災が関係しているとも推測される。

# by nk8513 | 2013-10-29 13:06
2013年 04月 02日

摩耶観光ホテルについて26(資料23)

資料紹介23
『神戸名所まや山』まやケーブル、1933〜34年頃


神戸名所まや山 1(表紙)

 ケーブル会社が発行したリーフレット。表紙の写真にはケーブルの線路・トンネル・駅舎、およびマヤカンや展望台等が確認できる。マヤカンの下部が植樹などの整備がなされていないことから、写真はマヤカンの完成直後(1929(昭和4)年秋〜30(昭和5)頃)に撮影されたものと推定される。一方、リーフレット自体の発行年は記載されず、また前出のもので参考となったケーブル会社の所在地も記載されていないため、正確な時期は不明。ただし、以前から紹介している「野田山遊園地」を撮影した写真が掲載され、それらが完成・新設されたものと記載されているため、おそらくは1933(昭和8)年の夏から翌34(昭和9)年頃の発行と思われる。

*ケーブル会社の社史(『六甲山とともに五十年』、1982年)には1933(昭和8)年7月に「野田山遊園地内(摩耶山温泉前面)に植樹、猿舎、運動具の新設、道路の増設完成」と記載(年譜)


神戸名所まや山 2


神戸名所まや山 3


神戸名所まや山 4

 内容は①摩耶山の眺望の良さ(眺望愈廣)、②天上寺の名所、③遊園地、④マヤカン(直営食堂及ホテル・餘興場)をそれぞれ写真つきで紹介している。このうち、遊園地については以前から紹介しているように、ケーブル摩耶駅西側(摩耶山遊園地)と東側(野田山遊園地)が存在しているが、写真は明らかに後者を写したものである。これはこれまで紹介した絵はがき()とは異なり、南側の尾根方向(ベビーゴルフ場)からほぼ同じ高度で撮影されており、遊具や動物小屋などが確認される。また「御子達遊戯設備完成、遊歩道新設」と記載されており、 前述したようにこれらが完成直後であることを示唆している。


神戸名所まや山 5

 マヤカンについては、別のリーフレットでも使用されている写真や、ホテル・食堂の説明や料金表等が掲載・記載されている一方、「 餘興場」については「内外トーキー 優秀映畫上映 其他毎日開演 無料公開」と、映画上映を中心にしたものであることが記載されている。 トーキー(発声映画)は「サイレント(無声映画)」に対して、1920年代から登場し、30年代には日本でも制作・公開されるようになったようであり、マヤカンの営業時期と確かにリンクする。 今では当たり前の映画を、あえてトーキーと宣伝している点に当時の時代を感じさせる。

# by nk8513 | 2013-04-02 15:11
2012年 03月 24日

摩耶観光ホテルについて25(資料22)

資料紹介22
摩耶ケーブル・奧摩耶ロープウェイの乗車券(半券)、1971・69年頃

乗車券 (表)1枚目

 摩耶観光ホテル時代に使用された摩耶ケーブル・奧摩耶ロープウェイの乗車券(半券)2枚。1枚目は表面の下部、2枚目は裏面に年月日と思しき記載があることから、使用されたのがそれぞれ1971(昭和46)年3月(日付は明確には確認できないが、おそらく20日代と推定)、1969(昭和44)年2月23日と思われる。当時ケーブルは阪神電鉄の傘下、ロープウェイは神戸市交通局による運行であり、別々の会社による経営であったが、これらの乗車券からして共通連絡切符が発行・使用されていたことが確認される。ただ形状から記念乗車券的な少数限定のものとも考えられる。
 構図はいずれも摩耶山中腹を中心にして、ケーブル・ロープウェイ、および周辺の「摩耶遊園地」・バンガロー・マヤカン・山頂部の施設などが描かれている。ただ1枚目が以前紹介した広告リーフレットと同じもので、写真をベースにケーブル等を着色付加したものに対して、2枚目はすべて描かれた絵画的なものとなっている。両者の差異としては、2枚目にのみ山頂部右側に展望台(虹のかけ橋)、ロープウェイ左側に天上寺の伽藍などが付加されている。以前紹介した広告等ではこれらの施設もすべて記載されているが、切符の形状から1枚目はこれらが描ききれない。こうした状況からして、おそらく2枚目は1枚目の構図を参考して、摩耶山の観光施設をすべて登場させるために後から作成されたものと想定される。ただし、前述した使用日については1枚目ではなく2枚目が2年ほど古くなっている。この点については、後述するマヤカンの状況と関連するとも想定される。

乗車券 (裏)1枚目

 裏面にシオノギ製薬の広告が記載されている。ポポンSを持っているのは仲代達矢か?

乗車券 (表)2枚目

 さてマヤカンについて、1枚目は西側の一部、2枚目は全体の2/3ほどが描かれているが、いずれも5階建てに増設された形状になっている(1枚目は以前紹介したリーフレットとほぼ一致)。ただし通説では、1967年夏の水害により営業停止したことになっているのに対し、切符の使用日は明らかにそれより後である。考えられる可能性として、一つはマヤカンが営業停止した後もこの図柄が使用されていた、もう一つとしては、実はマヤカンの営業停止が一部資料に記載された1971年頃であった、この2つがあげられる。ちなみに以前紹介したリーフレットもマヤカン営業停止と時期的に一致していない。この時期のマヤカンはケーブル会社の経営から離れてはいるが、それでも摩耶山観光において主要な集客施設であった筈である。もし営業を停止していたならば、マヤカンが描かれた図柄は使用しづらいであろう。この点では、使用日の古い2枚目がマヤカンを全体的に確認できるのに対し、新しい1枚目は構図的に注意しないとわからない程度に切られている。このことから、以下の想定が考え得る。前述のように、1枚目の図柄では切符の形状的制約から、リーフレットでは包含できたマヤカンや天上寺などの施設が入れられないため、これをベースに新たに2枚目の図柄が作成されたと思われる。しかしやがてマヤカンの営業が停止したために、それが目立つ2枚目の図柄がむしろ使用しづらくなった。この結果、マヤカンが切れてしまう古い1枚目の図柄があえて使用されるに至ったという可能性である。単なる考えすぎかもしれないが、これら切符はマヤカン営業停止前後に使用されたものであることは確かなだけに、マヤカンの構図の変化はそれを示唆するとも思われる。

乗車券 (裏)2枚目

 裏面にかつて瀬戸内海を中心した旅客航路を運行していた加藤汽船の広告が記載されている。その上部に使用日と思しき「44.2.23」と印字されている。

# by nk8513 | 2012-03-24 17:05


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