2006年 04月 02日

摩耶観光ホテルについて9(資料6)

資料紹介6
『爽涼 夏ノ摩耶山 海抜2000呎 大阪から阪神電車連絡 往復割引 1円 市バス共』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1936年夏

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爽涼 夏ノ摩耶山1

 ケーブル会社により作成されたリーフレット。タイトルの通り、夏季用のものであり、本文巻頭には「暑さ知らずのまや山」と記され、避暑地としての利用をアピールしている。ただ海抜2000呎(フィート)は、メートルに換算すると609.6mで、摩耶山の実際の標高696mより低い数値となっている。イラストには摩耶山上の施設として、摩耶山温泉ホテルや天上寺の他に、ケーブル開通の1925(大正14)年以来、設置されていた「夏季テント村」も描かれ、本文中にも「まや山テント休憩所(期間七月四日より、八月末日まで)」と記されている。

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爽涼 夏ノ摩耶山2

 これに加えてイラストには、海上に浮かぶ多数の艦船(明らかに軍艦)、上空には編隊を組む航空機が描かれている。リーフレット内には、海上の艦船を映したと思われる「まや山の展望」と題された写真が掲載され、その両側に「今秋の阪神沖特別大観艦式」「絶好の拝観場所はまや山」と記されている。六甲摩耶鉄道株式会社の社史(『六甲山とともに五十年』、1982)によれば、1930(昭和5)年10月26日に「特別大観艦式」、34(昭和9)年10月16日に「阪神沖に艦隊130隻入港」、36(昭和11)年10月29日に「特別大観艦式」等が行われ、摩耶山にはそれを見物する人々で賑わったという。これらの軍事イベントは、いずれも秋に行われていることから、このように夏からその予告をしていたことがわかる。問題は、この予告が何時のものかということだが、特別大観艦式と記されていることから、34年がまず除外される。また艦船の写真もあることから、予告された式以前に撮影されたものを使用していると推測できる。さらにリーフレットに掲載された「ハイキングコース案内」に、阪急神戸線が三宮まで記されている。阪急神戸線は、1920(大正9)年に開通したが、当初は梅田−上筒井(現・王子公園付近)間であり、それが現在のような三宮まで延伸されたのが36年4月である。これらを総合すると、予告された観艦式は36年のものであり、リーフレットも同年夏頃のものと判断される。ただし、ここには「1937」と手書きされ、さらに「元旦」の印字が押されており、このリーフレットが実際に購入・使用されたのは、演習終了後の1937(昭和12)年正月と推測される。


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爽涼 夏ノ摩耶山3

※補足(2009.10.09):ケーブル会社本社の表記が1936(昭和11)年2月以前の「箕岡通四丁目七四五」ではあるが、上記のことにより発行年は同年夏頃と考えられる。所在地が古い点については、所在地表記を変更した直後で混乱をさけるためか、あるいは以前に発行したリーフレットの原版をそのまま使用したためと推測される(摩耶観光ホテルについて18(資料15)、2009年10月参考)。


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爽涼 夏ノ摩耶山4

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まや山ホテル

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まや山食堂

 さて摩耶山温泉ホテルについては、以前紹介したガイドブックと同様、「摩耶山温泉」、「まや山食堂及ホテル」、「余興場」と相変わらす項目を分けて紹介されている。ただし「摩耶山温泉」には、「一階及二階ホテル、四階余興場、三階大食堂、特別室、娯楽室、浴場」と記されており、建物内部の構成が確認される。ホテルの写真は、戦前の絵はがき等にも使用されている南側から全景を見上げたものだが、食堂内部の写真は珍しいかもしれない(以前紹介したガイドブックとは食卓のレイアウトが異なる)。


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爽涼 夏ノ摩耶山5

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爽涼 夏ノ摩耶山6

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まや山温泉

 この写真は、「まや山温泉」として、女性達の入浴風景を後ろ姿ではなるが、全裸の状態で映している。この種の写真は、戦前は勿論、1960年代までの旅行ガイドブックにはごく一般的に確認されるもので、その読み手も男性を想定した書き方・構成になっている。よってこれらは、単に倫理観の差異ではすまない問題も見え隠れするが、ここでは別の理由からあえて紹介する。それは、この浴場の場所についてである(関連から以前紹介した写真も再掲載した)。現在、廃墟としてあまりにも有名になったマヤカンは、多数の廃墟本やネット上に多数の写真とともに紹介されている。しかし、それらから確認できる浴場(「家族風呂」等)については、3階部分から独立した階段で降りて行く2階のそれだけであり、これは明らかにこれらの写真とは異なる形態のものである。むしろ窓の形状から判断して、ここにあげた浴場は、現在ではその美しさが評価されている部屋(以下のサイト参照)ではないかと推測される。戦後の摩耶観光ホテル時代は、以前にも示唆したように宴会・パーティーを中心とした飲食主体の施設であり、ここも「カジアルコーナ等」とされていて、食堂の別室的位置づけになっていたようである。しかし、戦前の摩耶山温泉ホテルは、その名の通り「温泉」(地下水を湧かした程度のもの?)を中心にした施設であり、現在確認される浴場だけは、「温泉」としては不十分なものである。よって当初は、現在確認されるものとともに、この部屋も浴場として使用していたと思われる。

現在、確認される浴場
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美しいと評価されている部屋
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参考サイト:廃墟ディスカバリー(摩耶観光ホテル)
http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_376726.html
http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_50009871.html
http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_50010287.html

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温泉浴場(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

by nk8513 | 2006-04-02 21:30 | Comments(0)


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