摩耶観光ホテルについて

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2007年 03月 08日

摩耶観光ホテルについて12(資料9)

資料紹介9 絵はがき集『摩耶山 MT.MAYA 総天然色八枚組』1955年頃

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 第二次大戦後の1955(昭和30)年に摩耶ケーブルが復活し、同時に摩耶山頂部に連絡する奥摩耶ロープウェイが開業して、摩耶山観光が再び活性化したが、今回紹介するのは、その頃発行されたと思われる絵はがき集である。残念ながら出版元については記載がなく不明である。絵はがきは「総天然色」と記載され、一見カラーなのかと感じられるが、実際には白黒写真に着色したものである。
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絵はがき1 ロープウェイ THE ROPE WAY OF MT.MAYA.

 ロープウェイの背後に当時は営業を停止していたはずのマヤカンの建物が確認できる。

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絵はがき2 神戸市街展望 VIEWSOF KOBE CITY FROM ON THE SUMMIT.

 ここではロープウェイ開通直後ということもあり、8枚のうちの2枚と表紙のイラストにロープウェイが登場している。「神戸市街展望」では天上寺の杉木立や、神戸製鋼所の工場群、神戸の市街地を確認できる。なお前者の「ロープウェイ」の後方には、ケーブル・ロープウェイの駅舎およびマヤカンを確認できる。

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絵はがき3 山上遊園地 TEF PLAY GROUND ON THE SUMMIT.

 またロープウェイと同時期に整備された山頂地区の「山上遊園地」(掬星台)も登場している。絵はがき左下に途切れてはいるが。おそらくは「ロープウェイ開通」と記された看板(あるいはゲート?)が確認できる。

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絵はがき4 山上展望台より大阪を望む LOOKING AT OSAKA FROM VIEWING-STAGE OF THE SUMMIT.

「山上展望台」も山上遊園地にあり、現在も同じ場所に存在するが、当時は「虹のかけはし」と呼ばれて、七色に着色された雨よけ屋根が施されていた(絵はがき「山上遊園地」の右上)。

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絵はがき5 天上寺 TENJO TENPLE.
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絵はがき6 天上寺多宝塔 TAHO TOWER OF TENNJO TENPLE.

 これまで紹介してこなかったが、摩耶山の中心的存在であった天上寺も紹介されている。こうした絵はがきは戦前のものでも数多く確認できる。しかしこの伽藍は、1976(昭和51)年の火災によりほぼ全焼しており、現在は「摩耶山史跡公園」となっている。その後、天上寺は掬星台より500m北方に新伽藍を再建した。

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絵はがき7 ケーブルカー THE CABLE CAR OF MT.MAYA.

こうしたケーブルを俯瞰する絵はがきは、以前紹介したように戦前のものにも登場するが、戦前のものと比較すると、建設にあたって切り開かれた造成部分が、ほとんど緑化していることに気づかされる。なお絵はがき右上にマヤカンの建物が一部確認できる。

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絵はがき8 摩耶山展望 VIEWS OF MT.MAYA.

 さてマヤカンについてだが、「摩耶山展望」をはじめとして何枚かの絵はがきに、断片的に確認されるが、マヤカンやその周辺(中腹地区)を紹介したものは皆無である。というのも、この絵はがき集が発行された1955(昭和30)年頃には、マヤカンは閉鎖中(復活は1961(昭和36)年)であり、かつマヤカンに隣接した遊園地も売店などは設置されてはいたものの、戦前の賑やかな状態とはほど遠いものであったと考えられる(本格的な再整備は1957(昭和32)年頃から)。こうした背景により、絵はがきに登場するマヤカンは小さく・不鮮明なわけであるが、それでも摩耶山中にひときわ目立つ建築物と感じられる。「摩耶山展望」に確認されるマヤカンは、増築以前の形態を明確にしている。

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摩耶山観光案内図」(表紙カバーに記載)

 この図から、マヤカンのあった中腹地区(ケーブル・ロープウェイ乗換地点)が単なる中継地点となっている様子をうかがえる。

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絵はがきの裏面

by nk8513 | 2007-03-08 00:56 | Comments(0)