摩耶観光ホテルについて

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2007年 07月 18日

摩耶観光ホテルについて14(資料11)

資料紹介11 『初詣 皇軍武運長久 家運隆昌 祈願』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1939年末

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初詣 皇軍武運長久 家運隆昌 祈願1

 ケーブル会社により作成されたリーフレット。タイトルに「初詣」とある通り、正月向けのものである。イラストには「まや山初詣」および「まやケーブル」の写真が載せられ、背後に「皇軍武運長久祈願」の記された旗を掲げた槍状の幟、および飾り物が付けられた笹の木らしきものが記されている。この武運長久などの記載から、戦時中に発行されたものと思われる。それも影響したのか、このリーフレットは、これまで紹介してきたものに比べ、明らかに紙質が悪く、また印刷も茶色一色の単調なものとなっている。後述する「キングコング」の記載から、発行は1939(昭和14)年末と想定される。なお、マヤカンについては、残念ながら写真やイラスト等は載せられておらず、「摩耶温泉」「余興場」として簡単に紹介されている程度であるが、ケーブル会社のリーフレットということで、あえて紹介する。

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初詣 皇軍武運長久 家運隆昌 祈願2

 初詣用ということで、内容は天上寺への記載が半分以上を占め、特に初詣から「初午祭」まで、新春の年中行事が詳しく紹介されている。ケーブルを使って参拝した者に抽選で、銀やアルミ製の観音像などが授与されること等が記されていることから、当時のケーブルを利用した参拝が盛んであったと感じさせる。しかし、表紙にあるような戦時色を感じさせるような内容は特に記載されておらず、以前紹介したものとさほど変わらない印象を受ける。これが発行された1939(昭和14)年は、日中戦争は開始から2年以上経過して、日本社会全体に様々な影響が出始めていた頃ではあるが、41(昭和16)年12月の米英開戦以後に比べれば、状況はそれほど逼迫してなかったのかもしれない。
 なお初詣については、年ごとに変わる恵方(吉となる方角)にある寺社に参拝する恵方参りが、明治中期から後期に東京や大阪圏で開業した鉄道会社の宣伝活動などによって、恵方と関係なく「初詣」として、沿線の寺社に参拝するように新しく変化したものであることが知られている(以下のサイトおよび研究論文参照)。当然、天上寺の初詣にも、このリーフレットの存在自体が示す通り、まやケーブルやその親会社である阪神電鉄の宣伝活動の影響があったと考えられる。

「ウィキペディア・初詣」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%A9%A3
平山 昇「明治期東京における「初詣」の形成過程--鉄道と郊外が生み出した参詣行事」日本歴史691、2005.12、60〜73頁。
同「明治・大正期東京・大阪の社寺参詣における恵方の変容」交通史研究 61、2006.12、87〜101頁。


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初詣 皇軍武運長久 家運隆昌 祈願3

 さてここで特異なものとして注目されるのが、左端にある「話題のキングコング」である。キングコングといってもそれは「日本産大猿」と記されているように、大型のニホンザルを指している。「昨年六月下旬」に生け捕りにしたとあるが、これはリーフレットの作成時期からすれば1938(昭和13)年6月になるが、どうも1940(昭和15)年新春から計算しているようで、39(昭和14)年6月の出来事と推測される。ちなみに仮に38年の場合、この直後の7月5日に阪神大水害が発生しており、キングコングどころではなかったはずである。
 この経緯については、六甲摩耶鉄道株式会社の社史(『六甲山とともに五十年』、1982)にも新聞記事を引用しながら紹介しており、当時ちょっとした話題になっていたようである。それによると、1935(昭和10)年頃から布引の滝や摩耶山周辺に野生のサルが度々出没していたが、39年6月22日に摩耶山遊園地内の「動物園」(動物小屋)に現れ、見物人を威嚇して騒ぎになった(当時の新聞記事には、「キングコング」と大立ち回りをしたかのように表現されている)。そこでケーブルの職員らによって、オリの奥にエサを置き、それをとればオリが閉じる仕掛けをすぐに設置して、翌23日に生け捕りにされたようである。ただ実際には、騒ぎになる数日以上前からサルが出没していたようで、仕掛けの準備等はすでに出来ていたらしい。
 要するに野生のサルを捕獲しただけの話なのだが、それが「胴体二尺二寸、三寸」と、約60cm以上の大きさであったので、1933(昭和8)年に公開されたアメリカ映画になぞえて「キングコング」と表したのであろう(映画のコングは約8m...)。ちなみに社史に紹介された新聞記事には、捕獲直後は摩耶遊園地内の「動物園」で公開したところ連日大賑わいになり、さらにこの人気からケーブル親会社の阪神電鉄の遊園地(阪神パーク)に「お目見得」させるであろうことを記している。サル一匹でここまでに至ったのは、おそらくはそれを騒ぎ立てた新聞記事そのものによるところが大きいと思われ、マスコミの影響力が当時も今と変わらないほどのレベルに達していたことを示している。この「コング」が阪神パークに本当に連れていかれたのか、社史はその後を記してはいないが、仮にそうであってもこのリーフレットの記載から、年末には摩耶山に戻されたと推測される。

by nk8513 | 2007-07-18 17:07 | Comments(1)