摩耶観光ホテルについて

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2008年 08月 06日

摩耶観光ホテルについて16(資料13)

資料紹介13
「国立公園周遊指定地 摩耶山」、1967〜1970年頃

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国立公園周遊指定地 摩耶山1

 マヤカンが摩耶観光ホテルとして営業していた時期に発行されたリーフレット。発行元は特に記載されていないが、記述内容や添付された料金表等から摩耶ケーブルか神戸市交通局(奥摩耶ロープウェー)のいずれか、あるいは両者合作とも考えられる。発行年は添付の料金表に記載されたケーブル等の料金(片道100円)から、1970(昭和45)年2月20日から1972(昭和47)年12月19日の期間と判断される。ただしこの時期には、摩耶観光ホテルはすでに営業を終了しているが、リーフレットには「まや観光ホテル」として紹介されている。このことから、料金表は1970年以降に添付されたもので、リーフレット自体はそれ以前に発行されていたものと想定される。
 より正確な時期については、ここに掲載されている「国立公園・まや六甲回遊コース案内」に確認される「六甲トンネル」、「まや山上案内パノラマ図」にあるケーブル遊園地の「展望台」の形態、および同様に掲載されたいすずの自動車「フローリアン」の広告が手がかりとなる。六甲トンネルは正確には「六甲山トルネル」という名称で、現在も営業中の六甲有料道路の中心施設となっており、その竣工は1967(昭和42)年3月であった。次にケーブル遊園地の展望台は、図中にはベンチが2つ置かれた簡単な施設として表現されているが、六甲摩耶鉄道の社史『六甲山とともに五十年』には1970(昭和45)年3月に鉄筋コンクリート製2階建て(2階は喫茶室・屋上が展望台)に建て替えられたとの記述がある。よってこれはそれ以前の古い形態のままと考えられる(展望台自体は1958(昭和33)年7月に設置)。また「フローリアン」は、同じ67年11月から販売されたいすず製の自動車で、1600ccと1800ccの2種類が存在し、1800ccの方は1980年代前半まで販売されたが、1600ccは1973(昭和48)年頃までで販売を止めているという。リーフレットには車名とともに「1600cc6人乗り84馬力」と記載されていることから、67年末から70年頃ということになる。ただし通説では、摩耶観光ホテルは67年7月9日の集中豪雨で営業中止に追い込まれたとなっていることから、前述のフローリアンの販売状況とは時期的にリンクしていない。
 以上のことから想定される可能性として、一つは67年春から秋頃にかけて作成され、フローリアンの広告が掲載された秋から冬頃に発行されたが、すでに摩耶観光ホテルの営業が中止されていたとするもの、もう一つとしては、営業停止が一部資料に記載されている1971(昭和46)年頃と想定して、展望台が建て替え前の状態、およびケーブル料金やフローリアンと時期的に重なる70年初頭頃とするもののである。いずれの場合も限られた状況証拠によるもので、かつそれらから導き出される時期が微妙に整合しない等、これ以上は特定しがたい。ただ少なくとも、摩耶観光ホテルの最末期か営業停止直後の時期に発行されたものであることは確かである。

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国立公園周遊指定地 摩耶山2

 リーフレット表紙に使用される摩耶山を中腹付近から俯瞰したこの写真は、以前紹介した広告(摩耶観光ホテルについて11(資料8)広告「国立公園まや山へ!」、神戸市交通局・まやケーブル、1961〜67年頃)に使用されたものと同じものと考えられる。それは写真全体の構図、ケーブル・ロープウェーの位置、バンガロー等の中腹施設の位置がほぼ一致することから判断される。また山や施設の色の状態から、以前の絵はがき同様に白黒写真に彩色したものであるが、バンガロー等は彩色ではなく、施設そのものを作画していると思われる。それをより明確に感じされるのが、中央右手に見えるマヤカンである。ここから確認されるマヤカンは、4階から5階建に増設された摩耶観光ホテル時代の形態となっている。しかし以前紹介した広告に確認されるマヤカンは、明らかに増築前の形態であり、そちらは作画を施しているような不自然さを感じさせない。よって、このマヤカンは明らかに元の写真に作画・修正されたものである。なお下部にあるのが、いすず「フローリアン」の広告。

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国立公園周遊指定地 摩耶山3
 右側の「国立公園・まや六甲回遊コース案内」には中腹に「まや観光ホテル」「まやケーブル遊園地」「まやケーブルバンガロー村」、山頂部に「奥まや遊園地」「ジェットコースター」「虹のかけ橋」等の施設がイラストとともに記載されている。また前述した六甲トンネルは、図右側の「六甲ケーブル」や「表六甲ドライブウェイ」付近に確認される。

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国立公園周遊指定地 摩耶山4

 ここにある「まや山上案内パノラマ図」は、当時の摩耶山の状況を詳細に示している。まず山頂部は「奥まやスカイランド」と記され、展望台の「虹のかけ橋」や「ジェットコースター(マウントコースター)」や「ムーンロケット」等の遊戯施設が存在し、まさに遊園地的な場所であったことを確認させる。これに対して、ケーブルまや駅付近は、遊園地と記載されながらも、そこにあるのはバンガロー村を除けば、簡単な遊戯施設程度で、その充実度には大きな差異を感じさせる。こうした状況であったが故に、閉鎖されていたマヤカンが、中腹部の活性化の切り札として、1961(昭和36)年に摩耶観光ホテルとして復活させられたのであろう。図中にもケーブル駅右側に増築された姿で描かれている。また前述したベンチ2台が置かれた展望台も確認できる。
 一方、現在の「オテル・ド・摩耶」の前身となる「国民宿舎神戸摩耶ロッジ」(1970(昭和45)年4月営業開始)、またはそれ以前に同地に存在した「ホテル奥摩耶山荘」(1954(昭和29)年7月営業開始)はなぜか記載されておらず、同方向(図中上部)には「六甲ユースセンター」(現・神戸市立自然の家 1962(昭和37)年7使用開始)や「六甲山牧場」(1952(昭和27)年開設)が描かれるのみである。ケーブル会社や神戸市交通局等との関係が希薄であったためか、あるいはリーフレット作成時期が、山荘からロッジへの立て替え時期(おそらくは1968・69年頃)に重なっていたとも考えられる。
 その一方で、図中左中央には名称未記載の建物が描かれているが、これは「奥摩耶ハウス」と呼ばれた施設と考えられる。同施設の詳細は不明だが、1950年代から70年代の住宅地図には記載されている(ただしそれは最初は林間学校、次にユースホステル、最後は神戸市内の高校(摩耶高校・御影工業高校)の施設と記載)。その場所は現在、無線中継施設等が立ち並ぶ掬星台より西側、元々の摩耶山頂付近である。この記載のされ方から判断して、リーフレット作成時期には営業していたものの、程なく閉鎖あるいは前述の高校施設となったため、名称記載が削除されたとも推測される。

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国立公園周遊指定地 摩耶山5

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国立公園周遊指定地 摩耶山6

 右下に「まや観光ホテル」の記載があり、「大宴会場、グリル、ホール、コーヒーコーナー、結婚式場など」の設備が記載されている。これらのうち、大宴会場は5階、グリルは4階、ホールは大ホールが4階、中ホール(旧食堂)が3階にあったと思われるが、コーヒーコーナーと結婚式場はの正確な場所は不明である。また「150名が宿泊できる」と記載されているが、客室は1・2階を含めて13室程度とされていて、やや多すぎるように感じられる。

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国立公園周遊指定地 摩耶山7(マヤカン部分を拡大)
 この写真のマヤカンは、増築された5階建ての姿である。

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国立公園周遊指定地 摩耶山8
 リーフレットに添付されていた料金表

by nk8513 | 2008-08-06 15:44 | Comments(2)