摩耶観光ホテルについて

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2015年 03月 20日

摩耶観光ホテルについて39(資料36)

資料紹介36 絵はがき「攝津摩耶山ケーブルカー急勾配ノ景」など3枚、1925〜29(大正14〜昭和4)年頃?

 1925(大正14)年1月、摩耶山にケーブルカーが開通し、マヤカンこと摩耶山温泉ホテルが開業する1929(昭和4)年11月までの期間に作成・販売されたと推測される絵はがき。形態は1枚のはがきに2つの名所を紹介するというもの。作成者は3枚セットで入手したものの、おそらくはこの他に数枚程度加わって一つの絵はがき集となっていたとも考えられる。作成・発行者は特に記載はなく不明である。作成年を上記のように限定したのは、マヤカンが登場していない点、およびその後マヤカンが建てられる以前に、同じ場所に存在した「テント村」が登場することから判断した。ただし未確認の絵はがきにマヤカンが登場するものが存在しているかもしれないし、あるいはマヤカン開業後も「テント村」は周辺で設置されていたので、場合によっては、時期が1935(昭和10)年頃まで下る可能性も否定はできない。

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絵はがき1 攝津摩耶山ケーブルカー急勾配ノ景・攝津摩耶テント村ノ景

 ここにある「テント村」は、ケーブルが開通した1925(大正14)年から、毎年7月上旬から8月末まで摩耶山遊園地周辺に設置されていたもので、別のリーフレットには「夏季テント村」とも表記されている。その場所は、マヤカンが営業開始した以後も設置されていることから、何ヶ所かに分散配置されていたと考えられる。ただしここに見られるのは、地形と近隣の山容からケーブル摩耶駅の東側斜面、すなわち現在のマヤカンが存在している場所である。

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絵はがき2 攝津摩耶山ケーブルカーより神戸市を望む・攝津摩耶山摩耶食堂の内部

 ここで注目されるのが、左の「摩耶食堂の内部」である。細長いフロアにほぼ2列にテーブルクロス掛けられた四角形のテーブルに「サクラビール」(「帝国麦酒」製、後に大日本麦酒(第二次大戦後にアサヒビールとサッポロビールに分割)と合併)と表記されたイスが配されている。中央右手には厨房に続くようなカウンターも確認される。これと似たような構図は、マヤカン内にあった食堂の写真()でも見られるが、フロアの広さはまったく異なっているのでそれではない。ケーブル会社の社史(『六甲山とともに五十年』)の年譜には、1925(大正14)年5月31日に「摩耶駅付近に摩耶食堂開業 他に貸売店8戸開業」と表記されている。また以前紹介した絵はがきには、判然とはしないものの、それらしき施設が確認できる。よってここにみられるのは、表記の通り「摩耶食堂」ということになろう。天上や壁面から木造と判断されるが、なかなか洒落た雰囲気に感じられる。

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絵はがき3 攝津摩耶山忉利天上寺本堂・攝津摩耶山忉利天上寺門前

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絵はがき裏面

なお上記絵はがきは「摩耶山および摩耶観光ホテル関連資料」で紹介していたが、ここで改めて紹介する。

by nk8513 | 2015-03-20 13:49 | Comments(0)
2015年 03月 18日

摩耶観光ホテルについて38(資料35)

資料紹介35 リーフレット「日本ユースホステル協会指定 奥摩耶ハウス」、神戸市交通局、1955年?

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奥摩耶ハウス1

 かつて奥摩耶(摩耶山頂)地区に存在したユースホステル「奥摩耶ハウス」のリーフレット。発行年は特に記載されていないが、掲載されている地図に1954(昭和29)年7月に開業したホテル奥摩耶山荘、1955(昭和30)年7月に営業開始した「奥摩耶ロープウェー(現・まやビューライン夢散歩)」や同時期に整備された奥摩耶遊園地の諸施設が確認できる一方、1956(昭和31)年7月に完成したとされる「マウントコースター」は記載されていない。よって発行年は1955(昭和30)年頃とも想定されるが、実際にはもっと遅い60年(昭和35)頃の可能性もある。

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奥摩耶ハウス2

 リーフレット左中程にある説明の通り、奥摩耶ハウスはロープウェーとほぼ同じ時期に同じ神戸市交通局によって建設・開業されたようであり、したがって開業年も同じ1955(昭和30)年と思われる。なおユースホステルについては、数多くの文献やサイトで記されている。それらによれば、ユースホステルは「青少年少女の旅に安全かつ安価な宿泊場所を提供しようという主旨で始まった運動と、それにより生まれた、宿泊施設の世界的なシステム」(Wikipedia:ユースホステル,2015年3月18日閲覧)であり、1912(明治45)年にドイツで誕生したものが、第二次大戦前にはヨーロッパからアメリカ、大戦後には全世界に拡大している。日本には大戦後にアメリカの関係者の来日や、日本青年館関係者の訪米視察などによって、1951(昭和26)年10月に日本ユースホステル協会が設立され、当初は東京・日光・富士・伊豆等13ヶ所に委託契約という形で設置された。その後、54年(昭和29)年8月に協会が国際連盟(1932(昭和7)年設立)に加盟、55(昭和30)年には北海道の支笏湖に協会直営のユースホステルの第1号が誕生し、以後各地に施設がつくられ現在に至っている。このことから、奥摩耶ハウスは日本でのユースホステル導入期につくられた施設の一つであったということになる。

参考サイト:
Wikipedia ユースホステル
日本ユースホステル協会「ユースホステルってなに?」
色即ぜねれいしょん「ユースホステルの歴史を学ぶ」
釧路湿原とうろユースホステルです「ユースホステルの歴史&資料館」
日本ユースホステル運動史

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奥摩耶ハウス3(掲載された地図)

 前回紹介した資料や今回のリーフレット等から、1955(昭和30)年頃に開業したと思われる奥摩耶ハウスであるが、その後の状況は不詳である。ユースホステルがあった場所は、以前指摘したように、現在テレビ局等の電波中継施設が立ち並ぶエリアである。1950年代後半~70年代(昭和30~50年代)の住宅地図によれば、56・58・59(昭和31・33・34)年は「奥摩耶ハウス 林間学校」と記載されていたが、64・66・68(昭和39・41・43)年には「ユースホステル 奥摩耶ハウス」とされ、69・71・74・76(昭和44・46・49・51)年には「市立摩耶高校 市立御影工高 奥摩耶ハウス」となり、78(昭和53)年以降は、記載がなくなっている。これらのことから、当初はユースホステルではなく林間学校という価値付けであり(あるいはユースホステル=林間学校という意味か?)、60年代前半に明確にユースホステルになったものの、60年代末には地元高校の林間学校的な施設に変わり、その後70年代後半に解体撤去されたものとも推測される。前回紹介した奥摩耶山荘は営業期間が15年ほど(1954(昭和29)年~70(昭和45)年頃)、マヤカンは戦前戦中が16年(1929(昭和4)~45(昭和20)年)、戦後が6年(61~67(昭和36~42)年)、今回の奥摩耶ハウスは約15年である。一方、奥摩耶山荘が解体された後に新築された国民宿舎 摩耶ロッジの建物は、営業期間は25年(1970~95(昭和45~平成7)年)、6年の休業後にリニュアルされ現在のオテルド摩耶となってからすでに14年(2001~(平成13~)年)、合算すれば39年、建物自体も築45年となっている(ただし公営の国民宿舎という意味では奥摩耶山荘から50年以上継続)。マヤカンは周知の通り複雑な事情の結果であるが、奥摩耶山荘や奥摩耶ハウスは明らかに営業期間や建物の存在期間が短いと評価できる。おそらくは建築構造がどちらも木造で耐久性に問題があったのだろうが、一方でその作りが粗雑であった可能性も想定される。

by nk8513 | 2015-03-18 15:02 | Comments(0)
2015年 03月 13日

摩耶観光ホテルについて37(資料34)

資料紹介34 リーフレット「静かな奥摩耶山荘」、神戸市電弘済会?、1950年代後半?

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静かな奥摩耶山荘1

 かつて奥摩耶(摩耶山頂)地区に存在したホテル「奥摩耶山荘」のリーフレット。発行年は特に記載されていない。同ホテルは1954(昭和29)年7月に開業しているが、ここに紹介されている奥摩耶地区には1955(昭和30)7月に営業開始した「奥摩耶ロープウェー(現・まやビューライン夢散歩)」が記載され、また1956(昭和31)年7月に完成したとされる「マウントコースター」などに代表される施設が紹介されていることから、早くとも50年代後半以降の制作と思われる。またホテルの電話番号が修正されていることから、その後1960年代後半まで使用・頒布されていたものとも想定される。マヤカンが摩耶観光ホテルとして営業していたのは、1961(昭和36)年から67(昭和42)年であるので、この時期摩耶山には2つの宿泊施設が存在していたことになる。その後、奥摩耶山荘は1970(昭和45)年前後に営業を停止し建物は撤去されて、同年4月に新たに「国民宿舎摩耶ロッジ」が新築されて再オープンした(現「オテル・ド・マヤ」の前身)。


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静かな奥摩耶山荘2

 左下の建物はホテル西側に存在した別館の建物のようである。一方、右の部分には「32室100名収容」などのホテルの概要、その下部には奥摩耶地区の説明等が記されている。

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静かな奥摩耶山荘3

 1950年代後半から70年代にかけて「奥摩耶遊園地」として機能していた奥摩耶地区の諸施設が地図で紹介されている。マウントコースターのレイアウト等が確認できるが、他にも地図の右下にかつて存在していた「ユースホステル」の建物も記載されている(下図も参照)。ここは現在はテレビ局等の電波中継施設が立ち並んでいる。同時期のガイドブックや住宅地図などから、正式名称は「ユースホステル奥摩耶ハウス」であったらしい。その正確な営業期間は不明だが、同時期の住宅地図によれば、50年代後半は「林間学校 奥摩耶ハウス」と記載されていたが、60年代前半にはユースホステルとなり、70年代前半には神戸市立高校の施設(それでも名称は奥摩耶ハウス)となっていた。さらに70年代後半には建物自体の記載がなくなっており、おそらくこの時期に解体撤去されたものと考えられる。
 また地図左下には「奥の院跡」「一本杉」の記載があるが、ここに現在は天上寺の伽藍が存在している。この当時、天上寺はまだ摩耶山中腹(現・史跡公園)にあったが、1976(昭和51)年1月に火災によりほぼ全焼した。その後、80年代に入って天上寺創建の場所と伝承され、一本杉があったこの地に伽藍が再建されている。


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静かな奥摩耶山荘4

 左中に前述したユースホステルの建物が掲載されている。


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静かな奥摩耶山荘5

 ここに登場する「名物かまぶろ」は、以前紹介した絵はがき集でも確認できるものである。


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静かな奥摩耶山荘6

 左下の「観光放牧場」は1956(昭和31)年に開業した観光牧場で、現在の「六甲山牧場」の起源となる施設である。


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静かな奥摩耶山荘7

なお上記リーフレットは「摩耶山および摩耶観光ホテル関連資料」で紹介していたが、ここで改めて紹介する。

by nk8513 | 2015-03-13 16:39 | Comments(0)