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2016年 08月 25日

摩耶観光ホテルについて44(資料41)

資料紹介41 住宅地図における摩耶山 その3(1971-76)

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地図1 『灘区 西部』ゼンリン、1971

 1971(昭和46)年発行の住宅地図による摩耶山。発行者は1969(昭和44)年版と同じくゼンリンであり、範囲もほぼ同一だが、道路や等高線などの表記が若干変更され、より正確さを重視した形態となっている。内容的には以下のような変化が確認できるが、マヤカンを含め全体的には大きな違いはない。
 ケーブル摩耶駅周辺:例によってマヤカンは「摩耶観光ホテル」のまま記載されている。以前紹介した資料では、この頃から管理人が居住を始めているとされている(1974(昭和49)年から学生センターとしての営業を開始)。次に注目すべきには、摩耶駅の西側にあった「子供スポーツカー乗り場」(69年版から記載)の南側に「千万弗展望台」が記載されていることである。これはケーブル会社の社史で紹介されている1970(昭和45)年3月29日から営業を開始した「コンクリート製2階建展望台」と思われる。同所には1958(昭和33)年8月21日に竣工した「木造展望台」があったが、「施設がお粗末で、木造で屋根もなく、台風のたびに補強修理を重ね風雨、寒冷の日には誰も寄りつかなかった。また、当時の摩耶山には若者向きのシャレた喫茶店もなかった」ためにこの展望台を建設したという。「1階と屋上は展望台で、2階は喫茶室」となっていたようであり、「当初はもの珍しさもあってなかなかの好評で予約貸室、会議、ダンスパーティなどのグループ利用が多かったが、すぐ後ろにもう一つ高い山があって、より高いところへ登りたい、という心理が働き、顧客需要の変化から現在(筆者注:1982(昭和57)年)は夏季のみ直営で営業している」と社史に記載されている。ここには昭和30年代以降の摩耶山頂部(奥摩耶地区)における遊園地等の開発、および1976(昭和51)年の天上寺焼失の影響を窺わせている。この展望台は、その後90年代前半の住宅地図までマヤカンと同様に記載されているが、震災後は名称が記載されず空白となり、2000年代に入ると建物が取り壊されたようで、記載されなくなっている。ただし、筆者が初めて摩耶山を訪れた1989(平成元)年には、すでに閉鎖され立ち入り禁止となっていたことから、80年代後半には喫茶室の営業を停止していたと推測される。コンクリート製とはいえ、かなり華奢な造りで、耐久性が十分ではなかったと思われる。一方、例の摩耶花壇と思しき施設(69年版は「アキヤ」)は記載されているが名称は無記載、その北西にあった茶屋(69年以前では個人名)も同様に無記載のままとなっている。
 天上寺周辺:69年版からの変化は特に見られない。
 山上(奥摩耶)地区:注目されるのが、69年版で建築中であった「奥摩耶国民宿舎」が「神戸摩耶ロッジ国民宿舎」と記載されている部分である。ケーブル会社 社史の年譜によれば、1970(昭和45)年4月11日に「神戸市営国民宿舎「神戸摩耶ロッジ」開業」と記載されており、これを反映したものと考えられる。他に「マヤ山上駅」の西側に「NHK摩耶山放送所」が設置、69年版まで記載されていたジェットコースター南にあった「みはらし亭」が記載されなくなった等の変化が確認される。

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地図2 『灘区 西部』ゼンリン、1974

 1974(昭和49)年発行の住宅地図による摩耶山。71年版以前と同じ範囲だが、等高線・道路を簡略化し、各施設の表記を大きく描いている。正確さより実用性を重視した形態に変更されている。71年から内容的に変化は確認できないが、マヤカンの表記がこれまでL字だったが単純な四角形で表現されている。

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地図3 『灘区』ゼンリン、1976

 1976(昭和51)年発行の住宅地図による摩耶山。74年版と形態は同一であり、マヤカンのあるケーブル摩耶駅周辺や山上(奥摩耶)地区に特に変化は見られない一方、天上寺周辺は大きく変貌した状況を確認できる。これは当然、同年1月30日に発生した天上寺伽藍の焼失の結果である。「本尊観世音(本堂)」「護摩堂」は記載されているが、74年版ではその周囲に存在した「摩耶夫人堂」「二重塔」「休憩所」「鐘楼」「大乗院」および住職の住居がすべて記載されていない(実際には本堂・護摩堂も焼失)。一方、これら伽藍より下部にある「蓮花院」「王蔵院」「一願地蔵」「神戸高校 磊磊舎 静嘿園」「大門」はそのまま記載されている。
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地図4 『灘区 西部』ゼンリン、1974(天上寺付近)
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地図5 『灘区』ゼンリン、1976(天上寺付近)

 詳細は未確認だが、どうも火災は天上寺の上部部分のみであったようで、参道の階段途上にあった上記施設群には被害が及んでいなかったと推測される。実際、これらの建物の一部は現在でも廃墟状態で残存している点もこれを裏付けている。しかし、天上寺は以前紹介した通り、摩耶山頂部の摩耶別山に移転することになり、これらの建物のうち一部は取り壊され、また一部はそのまま放棄されていったと思われる。このように76年の地図では、天上寺部分が大きく変化しているが、この影響もあってケーブル摩耶駅周辺の施設もこの後徐々に閉鎖・取壊しが相次ぎ、その衰微が進行していくことになる。
 追記:個人名についてはすべて修正した。

by nk8513 | 2016-08-25 14:16 | Comments(0)