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2017年 02月 20日

摩耶観光ホテルについて47(資料44)

資料紹介44 『月刊神戸っ子』における摩耶観光ホテルの広告 

 神戸周辺のタウン情報誌『月刊神戸っ子』に掲載された摩耶観光ホテルの広告。筆者の所蔵は以前に紹介したものだが、「神戸っ子アーカイブ」でさらに6つの広告を確認できた。これらは、1963(昭和38)年中に集中的に掲載された一方、それ以外の時期には確認できない。以下では、筆者蔵の広告のみ再掲し、他の6点は「神戸っ子アーカイブ」で各自で確認していただきたいが、広告の内容等についてはここで紹介する。

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広告1 摩耶観光ホテルの広告(『月刊神戸っ子』23号、1963(昭和38)年2月、67ページ
 マヤカンの写真が上下に2枚提示され、上は南側から見上げた構図、下は建て増しされた5階部分から南の神戸市街地を見下ろす構図で、右に南に張り出した部分が大きく写されて、高い尾根筋に立地していることを示している。なお上の写真では4階と5階部分の間に看板らしき物が確認できる。何と書かれているかは不鮮明でわからないが、これまで紹介してきた資料では確認されないものである。このため、この時期に度々行われていたイベント用の臨時の看板ではないかとも考えられる。
 次に写真の下には「国立公園 摩耶観光ホテル」と題されて、現在から見るとややオーバーな表現でホテルを宣伝している。国立公園は1956(昭和31)年5月に摩耶山を含めた六甲山地が瀬戸内国立公園(1934(昭和9)年3月指定)に編入指定されたことに関連したもので、当時はそれが六甲・摩耶地域の観光地としてのブランドであった(現在の「世界遺産」に類似)。1950年代後半~70年代にかけての絵はがき集などでも「国立公園 六甲山」のようなタイトルが散見され、摩耶山でも以前紹介した資料にあるように「国立公園まや山へ!」、「国立公園周遊指定地 摩耶山」、「国立公園 摩耶山」「国立公園 まや山」「国立公園 奥摩耶」、「国立公園 周遊指定地 摩耶山」などと、国立公園が多様されている。今回は、マヤカンというホテル施設に付随している点は独特だが、厳密にはマヤカンが国立公園の区域内にあるだけである。また「都心の塵埃をさけて、御散策にパーティに、御宿泊にお気軽にお越しください」との表現は、第二次大戦前の温泉を重視した「摩耶山温泉ホテル」ではなく、宴会・パーティーを中心にした飲食主体の「摩耶観光ホテル」の特徴を示唆している。


広告2 摩耶観光ホテルの広告(『月刊神戸っ子』24号、1963(昭和38)年3月、67ページ
 広告の構図は前号と同様で、上下2枚の写真の下に宣伝文が記されている。上の写真はマヤカンを南東側から見た構図であるが、これは第二次大戦前の絵はがき等で確認される一方、摩耶観光ホテル時代ではこれまで紹介してきた資料では見られない。これは戦前(少なくとも1938(昭和13)年の阪神大水害以前)は、この周辺が以前紹介した「野田山遊園地」となっていたが、戦後はまったく使用されず山林化していたという状況が関係していると思われる。しかし、この写真では不鮮明ながら樹木はまだマヤカンを隠してしまうほどに繁茂していなかった様子をうかがうことができる。あるいはマヤカンのリニュアル工事に際して、一部伐採などが行われたのかもしれない。いずれにしろ、この時期としては珍しい構図だが、戦前の同じアングルの写真と比較すると、5階部分が増設されて形態が変化した様子がよく確認できる。
 下の写真は大ホールを正面から写したものだが、不鮮明ながらテーブルや椅子が配置されているが、全体的状況は戦前の時とさほど変化していよう様子はない。ただ上部にソケット(小型電球が装着?)がついたコードが張られており、後述するようなパーティー時に雰囲気を出すために付属したものと思われる。
 注目されるのは、写真の下に「SPRING DANCE PARTY ●春の楽しいダンスパーティえのお誘い」と題され、3月21日に行われるダンスパティーの予告が記されている点である。続けて「とき・3月21日(木)3.00ー9.00PM ところ・摩耶観光ホテル大ホール(写真下) 入場整理券・¥250 EXCELLENT 3BAND 神戸の美しい夜景をながめ、春のリズムで楽しいひとときをおすごしください。花のプリンセスの方々も参加。」と記されている。途中の「EXCELLENT 3BAND」は演奏するバンド名か、楽器か関連の音響機器か、あるいはその前にある入場整理券に関連するのか、未確認である。また「花のプリンセスの方々も参加」と記されているが、これも単にサクラ的な女性を指すのか。あるいは宝塚歌劇のような芸能者を指すのかもわからない。


広告3 摩耶観光ホテルの広告(『月刊神戸っ子』25号、1963(昭和38)年4月、69ページ
 この広告のみ、写真が掲載されていない。代わりに「HAWAIIAN NIGHT」と左に記されたウクレレ(もしくはギター)のイラストが中央に配されている。その上には「ハワイアンとダンスパーティーの夕べ・5月4日(土)午後4時より 出演/バッキー白片とアロハハワイアンズ」、下には「ところ/まや観光ホテル大ホール 主催/まや観光ホテル―¥350 新聞会館・阪急・阪神プレイガイド まやケーブル・まや観光ホテルで発売中」と記されている。ここに確認されるバッキー白片は、明治末にハワイで生まれた日系二世で、昭和初期に帰化してハワイアンのミュージシャンとして活躍した人物で、このイベントが実際された当時は、神戸や関西限定ではなく、日本全国に知られた著名なミュージシャンであったようである。ただこのイベントが実際どの程度盛況であったかは未確認であるが、当時のマヤカンでは1~2ヶ月に1回程度にこうしたイベント・パーティーを開催できていたとすれば、ある程度の人出はあったと考えられる。なおこのイベントについては、以前紹介した摩耶観光ホテルが作成した宣伝カードにも同様のことが記されているが、ここでは開演時間が午後5時となっている。


広告4 摩耶観光ホテルの広告(『月刊神戸っ子』28号、1963(昭和38)年7月、70ページ
 この広告のみ、1ページ全面を使用している(他はすべて1/2ページ)。写真は上部に夜のマヤカンおよびケーブルが写されている。マヤカンのついては、室内の明かりだけではなく、屋上部分(おそらくは屋上ビアガーデン)の電飾部分もあって暗い山中に目立つ存在感を呈している。ただしケーブルの線路部分が明るく点灯しているが、これはシャッターを長く開いた状態で撮影された結果、ケーブルカーの車内の明かりがこのように線路沿い全体に光って見えていると思われる。したがって、見た目より明るく写されたものであり、マヤカンのこうした存在感が麓の市街地からこのまま見えていたとは必ずしも考えられない。とはいえ、夜のマヤカンを撮影したものは他に確認できず、この点の資料的価値は大きい。
 下には「HAWAIIAN & DANCE PARTY 大橋節夫とハニーアィランダース とき/8月3日午後5時より ところ/摩耶観光ホテル大ホール」とシンプルに前回と同様のハワイアンイベントを宣伝を記している(この年の8月3日は土曜日)。大橋節夫は前のバッキー白片と同様に、昭和に活躍したハワイアンミュージシャンであり、やはり当時はかなりの知名度があったと思われる。また右下には神戸三宮方面からのアクセスを示した略図が描かれている。


広告5 摩耶観光ホテルの広告(『月刊神戸っ子』29号、1963(昭和38)年8月、70ページ
 ここで使用されている写真は、前回使用した写真のうち、マヤカン部分をクローズアップしたものと思われる。そこに「夏の涼風・・・・・・レヂャーホテル」とだけ記されている。当時のマヤカンにとって、夏季の売りは市街地より涼しい屋上のビアガーデンだったのであろう。それを感じさせる広告となっている。


広告6 摩耶観光ホテルの広告(『月刊神戸っ子』31号、1963(昭和38)年10月、73ページ
 ここで使用されている写真は、3月号と同じ南東側から見たものであるが、印刷された紙が白い分こちらの方が状況を確認しやすくなっている(3月号は赤色)。宣伝内容は「味覚と行楽の秋に・・・」と始まっているが、続けて「三宮より20分 国立公園 摩耶山へ!」、写真の下には「パーティ・クラス会・運動会・歓送迎会その他ご人数・ご予算のご相談に応じます 楠公鍋 ¥1200~1500 まや鍋 ¥800~1200 鉄板焼 ¥300~800」と記されていて、イベント等ではなく一般的なものとなっている。ただし、まや鍋等の価格は、以前紹介した資料()にある価格と微妙に異なっており、まさに「ご人数・ご予算のご相談」によるものであったのかもしれない。なお広告下部には以前紹介した資料にもあったホテルのロゴが描かれている。


広告7 摩耶観光ホテルの広告(『月刊神戸っ子』32号、1963(昭和38)年11月、69ページ) ここで使用されている写真は、ホテル内の3階にある大食堂(ただしこの名称は摩耶山温泉ホテル時代のもので、摩耶観光ホテルでは未確認)の曲線状の窓辺(東側)にモデルの女性(不鮮明ながら欧米系と思われる)3名がたたずんでいる様子が写されている。摩耶観光ホテル時代のホテル内部の写真は、これまで未確認であり、これも非常に珍しいものといえる。
 広告に上部に「お茶と音楽とダンス マヤ・カジュアルコーナー開設!」、写真の下に「*コーヒーとケーブル往復乗車券付で150¥のM.C.C.クーポン券をご利用下さい *発売先きは/まやケーブル駅 *毎週土曜日6時より、名曲によるカジュアルダンスパーティを開きます。」とあり、その下にホテルのロゴ、ホテル名等が続いている。ここでまず注目されるのが、「カジュアルコーナー開設」である。ここは以前紹介した際には、廃墟マニアの間でその美しさが知られている部屋(戦前の摩耶山温泉ホテルでは浴場)で、摩耶観光ホテルの中では大食堂の別室的位置づけとなっていたと判断していたしていたが、毎週ダンスパーティを実施するには例の部屋は少々手狭な印象が否めない。一方、この部屋と大食堂の間に、2つの部屋があり、これらがカジュアルコーナーであったのかもしれない。次に、M.C.C.クーポン券についてであるが、これは要するに、ケーブルを利用してマヤカンでコーヒーを飲むとそのクーポンが貰えるということだと思われる。M.C.C.とは1923(大正12)年に神戸で設立された水垣商店を元に1954(昭和29)年に誕生したエム・シーシー食品と思われる。マヤカンやケーブルの利用で同社のクーポンが出たということは、それらと何らかの関係性を有していたと思われるが、仔細は不明である。

 以上、『月刊神戸っ子』における摩耶観光ホテルの広告を確認した。マヤカンのこの時期の資料はその営業期間の短さもあって、非常に希少である。筆者は所蔵しているものは一部に過ぎないが、折角web上に公開されていることを考慮して、あえて紹介した。

by nk8513 | 2017-02-20 17:18
2017年 02月 10日

摩耶観光ホテルについて46(資料43)

資料紹介43 絵はがき集「摂津摩耶山 参拝記念 摩耶ケーブル」、摩耶鋼索鉄道株式会社

 ケーブル会社が発行した絵はがき集。構成は8枚組で、タイトル通りケーブルと天上寺を中心にしている一方、マヤカン(摩耶山温泉ホテル)は登場しない。発行年代は不明だが、マヤカンを撮影したものがないという点では、その竣工の1929(昭和4)年11月の以前に発行されたものとも考えられる。ただし絵はがき集のカバーには「昭和三年十一月下旬 単独参拝」とメモ書きされていることから、遅くともそれ以前には発行されていたものと想定される。なお絵はがきカバーの裏面には「摩耶鋼索鉄道株式会社特製」と赤字で印字され、さらに(25)という番号が記載されている。以前紹介したケーブル会社発行の絵はがき集(AB)では、(10)や(20)と記載されていることから、同社は発行されたものから順に番号を付けていたと思われる。

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表紙

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表紙裏面

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絵はがき1 摂津摩耶ケーブルカー急勾配の景 Ganeral View of Maya Cable Rail Kobe

 路線周辺は山肌が露出していることから、撮影時期はケーブル開通直後(と考えられる。なお英文のGaneralはGeneralの誤記と思われる。

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絵はがき2 摂津摩耶ケーブルカー(トンネル)の景 Mouth of Tonnel Maya Ceble Rail Line

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絵はがき3 摂津摩耶ケーブルカー急勾配の景 The Cantrl Points of the Maya Cable Rail-Way at Mt.Maya Kobe

 上部に展望台らしき建物が確認できる。なお英文のCantrlはCentralの誤記と思われる。

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絵はがき4 摂津摩耶ケーブルカー停車場 The Summit Station of The Maya Cable Car

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絵はがき5 摩耶山上ケーブル終点より見たる神戸市 A View from the Summit of the Maya Cable Car. Kobe

 駅の両側は山肌がむき出しなことから、開通間もない頃に撮影されたものと思われる。完全には確認できないが、1931(昭和6)年5月に完成した「ベビーゴルフ場」となった左の崖上もまだ整備されていないように感じられる。

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絵はがき6 摩耶ケーブルカー停車場より見たる神戸市 Birdeye View of Kobe, From Maya Cable Car.

 西灘から神戸中心地方面を望んでいる。海上には多数の船舶が停泊している一方、神戸側の山には樹木が少なく、草山あるいは禿げ山となっている様子が確認される。六甲山地は江戸期には薪炭目的で樹木が数多く伐採され、その多くが禿げ山状態であったことが知られている。明治後期以降は植林が進められたが、この時期にはまだこうした状態も残存していたようである。参考サイト:六甲山 森林整備戦略(神戸市 建設局 防災部)

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絵はがき7 摩耶山上 仁王門より天上寺に至る参詣道 A Path Leading to The Maya Temple

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絵はがき8 摂津摩耶山忉利天上寺本堂 Toritenjyoji(maya temple) at Mt.Maya Kobe

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絵はがき裏面

by nk8513 | 2017-02-10 18:22