摩耶観光ホテルについて

nk8513.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2007年 07月 18日

摩耶観光ホテルについて14(資料11)

資料紹介11
『初詣 皇軍武運長久 家運隆昌 祈願』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1939年末

d0065273_12461262.jpg
初詣 皇軍武運長久 家運隆昌 祈願1

 ケーブル会社により作成されたリーフレット。タイトルに「初詣」とある通り、正月向けのものである。イラストには「まや山初詣」および「まやケーブル」の写真が載せられ、背後に「皇軍武運長久祈願」の記された旗を掲げた槍状の幟、および飾り物が付けられた笹の木らしきものが記されている。この武運長久などの記載から、戦時中に発行されたものと思われる。それも影響したのか、このリーフレットは、これまで紹介してきたものに比べ、明らかに紙質が悪く、また印刷も茶色一色の単調なものとなっている。後述する「キングコング」の記載から、発行は1939(昭和14)年末と想定される。なお、マヤカンについては、残念ながら写真やイラスト等は載せられておらず、「摩耶温泉」「余興場」として簡単に紹介されている程度であるが、ケーブル会社のリーフレットということで、あえて紹介する。

d0065273_12462292.jpg
初詣 皇軍武運長久 家運隆昌 祈願2

 初詣用ということで、内容は天上寺への記載が半分以上を占め、特に初詣から「初午祭」まで、新春の年中行事が詳しく紹介されている。ケーブルを使って参拝した者に抽選で、銀やアルミ製の観音像などが授与されること等が記されていることから、当時のケーブルを利用した参拝が盛んであったと感じさせる。しかし、表紙にあるような戦時色を感じさせるような内容は特に記載されておらず、以前紹介したものとさほど変わらない印象を受ける。これが発行された1939(昭和14)年は、日中戦争は開始から2年以上経過して、日本社会全体に様々な影響が出始めていた頃ではあるが、41(昭和16)年12月の米英開戦以後に比べれば、状況はそれほど逼迫してなかったのかもしれない。
 なお初詣については、年ごとに変わる恵方(吉となる方角)にある寺社に参拝する恵方参りが、明治中期から後期に東京や大阪圏で開業した鉄道会社の宣伝活動などによって、恵方と関係なく「初詣」として、沿線の寺社に参拝するように新しく変化したものであることが知られている(以下のサイトおよび研究論文参照)。当然、天上寺の初詣にも、このリーフレットの存在自体が示す通り、まやケーブルやその親会社である阪神電鉄の宣伝活動の影響があったと考えられる。

「ウィキペディア・初詣」:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E8%A9%A3
平山 昇「明治期東京における「初詣」の形成過程--鉄道と郊外が生み出した参詣行事」日本歴史691、2005.12、60〜73頁。
同「明治・大正期東京・大阪の社寺参詣における恵方の変容」交通史研究 61、2006.12、87〜101頁。


d0065273_12463744.jpg
初詣 皇軍武運長久 家運隆昌 祈願3

 さてここで特異なものとして注目されるのが、左端にある「話題のキングコング」である。キングコングといってもそれは「日本産大猿」と記されているように、大型のニホンザルを指している。「昨年六月下旬」に生け捕りにしたとあるが、これはリーフレットの作成時期からすれば1938(昭和13)年6月になるが、どうも1940(昭和15)年新春から計算しているようで、39(昭和14)年6月の出来事と推測される。ちなみに仮に38年の場合、この直後の7月5日に阪神大水害が発生しており、キングコングどころではなかったはずである。
 この経緯については、六甲摩耶鉄道株式会社の社史(『六甲山とともに五十年』、1982)にも新聞記事を引用しながら紹介しており、当時ちょっとした話題になっていたようである。それによると、1935(昭和10)年頃から布引の滝や摩耶山周辺に野生のサルが度々出没していたが、39年6月22日に摩耶山遊園地内の「動物園」(動物小屋)に現れ、見物人を威嚇して騒ぎになった(当時の新聞記事には、「キングコング」と大立ち回りをしたかのように表現されている)。そこでケーブルの職員らによって、オリの奥にエサを置き、それをとればオリが閉じる仕掛けをすぐに設置して、翌23日に生け捕りにされたようである。ただ実際には、騒ぎになる数日以上前からサルが出没していたようで、仕掛けの準備等はすでに出来ていたらしい。
 要するに野生のサルを捕獲しただけの話なのだが、それが「胴体二尺二寸、三寸」と、約60cm以上の大きさであったので、1933(昭和8)年に公開されたアメリカ映画になぞえて「キングコング」と表したのであろう(映画のコングは約8m...)。ちなみに社史に紹介された新聞記事には、捕獲直後は摩耶遊園地内の「動物園」で公開したところ連日大賑わいになり、さらにこの人気からケーブル親会社の阪神電鉄の遊園地(阪神パーク)に「お目見得」させるであろうことを記している。サル一匹でここまでに至ったのは、おそらくはそれを騒ぎ立てた新聞記事そのものによるところが大きいと思われ、マスコミの影響力が当時も今と変わらないほどのレベルに達していたことを示している。この「コング」が阪神パークに本当に連れていかれたのか、社史はその後を記してはいないが、仮にそうであってもこのリーフレットの記載から、年末には摩耶山に戻されたと推測される。

# by nk8513 | 2007-07-18 17:07 | Comments(1)
2007年 05月 31日

摩耶観光ホテルについて13(資料10)

資料紹介10
『秋 観艦式拝艦之最好適地 大阪から阪神電車連絡往復割引1円 市バス共』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1936年秋

d0065273_12374091.jpg
秋 観艦式拝艦之最好適地1

 ケーブル会社により作成されたリーフレット。タイトルの通り、秋季用のものである。イラストには摩耶山温泉ホテルがススキの後ろに描かれ、その左端にケーブル摩耶駅とホテルへの渡り廊下が、背後の山に天上寺の建物が、それぞれ描かれている。また空は青、山は青から黒で彩色されており、全体的に暗い印象を受けるが、これは中の案内に「秋はまや山の観月」に記されるように、夜をイメージしたものと推測される。

d0065273_12375181.jpg
秋 観艦式拝艦之最好適地2

 このリーフレットは、以前紹介した2つより紙面が少なくコンパクトなものではるが、この時期に行われた2つのイベントを中心に紹介している。
 一つはタイトルにも示されている通り観艦式についてであり、本文中にも「壮烈無比特別大観艦式」「阪神沖特別大観艦式全艦隊只一望絶好の拝観場所」と写真入りで紹介されている。この観艦式は、以前に行われたものと思われる写真(1930(昭和5)年か34(昭和9)年)が掲載されている点や、後述する「みなとの祭」の記述等から、1936(昭和11)年10月29日に行われた「特別大観艦式」と考えられる。よってこのリーフレットは、『爽涼 夏ノ摩耶山 まやケーブル』(摩耶観光ホテルについて9参照)と同じ年の発行ということになろう。
 次に記されているのが、「みなとの祭 龍宮の出現」と題されたものである。この「みなとの祭」は、現在行われている神戸まつりの前身というべきイベントで、戦前は1933(昭和8)年秋から数年間行われていたようである。以下にあげたサイト等によると、同祭りでは「神事祭典、祭りの女王戴冠式、国際大行進、そして、花火大会に海上提灯行列」や「第一神港商業学校〜大開通り〜元町通り、トア・ロード〜大倉山のコースで展開された懐古行列」などが行われ、また「山も街も電飾されて不夜城となり(中略)人気の花電車・花バスが作られ、特に、客を乗せない花電車7両には、特別豪華な飾りがなされた」という。確かにリーフレットにも、「市内高層建築物、突堤、背山のイルミネーション、停泊巨船の満船飾。、突堤先端の花火海上に映じ優美壮麗恰も龍宮城の出現、驚嘆すべき壮大美観、光の港都脚下一望、見落す勿れ祭の夜景」と記され、さらに関連として摩耶山の眺めの良さが宣伝されている。
参考サイト
神戸「みなとの祭」:http://m-yousan.hp.infoseek.co.jp/room2-12.html(2010年9月時点で閉鎖)
絵葉書・神戸「みなとの祭」

d0065273_123885.jpg
秋 観艦式拝艦之最好適地3

 なお摩耶山温泉ホテルについては、以前紹介したガイドブックと同様の記述がなされており、特筆すべきものは見あたらないが、表紙のイラストにはホテルとともに、以前紹介した絵はがき(「摩耶温泉土産」:摩耶観光ホテルについて7参照)で確認できたカバーを施した渡り廊下も記されている。このホテルを東側から眺めた構図は、写真・イラストとも比較的数多くみられるが、ホテル開業当初のもの(摩耶観光ホテルについて4参照)では、渡り廊下を確認できない。これは廊下の完成が、1929(昭和 4)11月16日のホテル開業よりやや遅い1930(昭和 5)4月であったためで、それ以後に作成されたものとの際だった違いとなっている。
参考サイト
旅と建築と日常(摩耶観光ホテル):http://thoughts.exblog.jp/d2006-05-26

 ちなみにこの渡り廊下は、現在残されているケーブル駅からの連絡路とほぼ同じルートをたどっているが、絵はがき・イラストを改めて確認すると、一部に高床状になった部分が存在している。これは山の崖のような斜面という地形からすれば、極めて不安定なものであり、かつ風雨の影響も少なくなかったであろう。またその造りも木造であったと推測されることから、この廊下は比較的短期間のうちに傷んでいったとも考えられる。戦後のマヤカンの写真にそれが確認できないのには、こうした背景があったと思われる。

※補足(2009.10.09):ケーブル会社本社の表記が1936(昭和11)年2月以前の「箕岡通四丁目七四五」ではあるが、上記のことにより発行年は同年秋頃と考えられる。所在地が古い点については、所在地表記を変更した直後で混乱をさけるためか、あるいは以前に発行したリーフレットの原版をそのまま使用したためと推測される(摩耶観光ホテルについて18(資料15)、2009年10月参考)。

# by nk8513 | 2007-05-31 16:57 | Comments(5)
2007年 03月 08日

摩耶観光ホテルについて12(資料9)

資料紹介9
絵はがき集『摩耶山 MT.MAYA 総天然色八枚組』1955年頃

d0065273_030447.jpg

 第二次大戦後の1955(昭和30)年に摩耶ケーブルが復活し、同時に摩耶山頂部に連絡する奥摩耶ロープウェイが開業して、摩耶山観光が再び活性化したが、今回紹介するのは、その頃発行されたと思われる絵はがき集である。残念ながら出版元については記載がなく不明である。絵はがきは「総天然色」と記載され、一見カラーなのかと感じられるが、実際には白黒写真に着色したものである。
d0065273_0315212.jpg
絵はがき1 ロープウェイ THE ROPE WAY OF MT.MAYA.

 ロープウェイの背後に当時は営業を停止していたはずのマヤカンの建物が確認できる。

d0065273_0341937.jpg
絵はがき2 神戸市街展望 VIEWSOF KOBE CITY FROM ON THE SUMMIT.

 ここではロープウェイ開通直後ということもあり、8枚のうちの2枚と表紙のイラストにロープウェイが登場している。「神戸市街展望」では天上寺の杉木立や、神戸製鋼所の工場群、神戸の市街地を確認できる。なお前者の「ロープウェイ」の後方には、ケーブル・ロープウェイの駅舎およびマヤカンを確認できる。

d0065273_035274.jpg
絵はがき3 山上遊園地 TEF PLAY GROUND ON THE SUMMIT.

 またロープウェイと同時期に整備された山頂地区の「山上遊園地」(掬星台)も登場している。絵はがき左下に途切れてはいるが。おそらくは「ロープウェイ開通」と記された看板(あるいはゲート?)が確認できる。

d0065273_0375671.jpg
絵はがき4 山上展望台より大阪を望む LOOKING AT OSAKA FROM VIEWING-STAGE OF THE SUMMIT.

「山上展望台」も山上遊園地にあり、現在も同じ場所に存在するが、当時は「虹のかけはし」と呼ばれて、七色に着色された雨よけ屋根が施されていた(絵はがき「山上遊園地」の右上)。

d0065273_0385651.jpg
絵はがき5 天上寺 TENJO TENPLE.
d0065273_039915.jpg
絵はがき6 天上寺多宝塔 TAHO TOWER OF TENNJO TENPLE.

 これまで紹介してこなかったが、摩耶山の中心的存在であった天上寺も紹介されている。こうした絵はがきは戦前のものでも数多く確認できる。しかしこの伽藍は、1976(昭和51)年の火災によりほぼ全焼しており、現在は「摩耶山史跡公園」となっている。その後、天上寺は掬星台より500m北方に新伽藍を再建した。

d0065273_0415572.jpg
絵はがき7 ケーブルカー THE CABLE CAR OF MT.MAYA.

こうしたケーブルを俯瞰する絵はがきは、以前紹介したように戦前のものにも登場するが、戦前のものと比較すると、建設にあたって切り開かれた造成部分が、ほとんど緑化していることに気づかされる。なお絵はがき右上にマヤカンの建物が一部確認できる。

d0065273_0421117.jpg
絵はがき8 摩耶山展望 VIEWS OF MT.MAYA.

 さてマヤカンについてだが、「摩耶山展望」をはじめとして何枚かの絵はがきに、断片的に確認されるが、マヤカンやその周辺(中腹地区)を紹介したものは皆無である。というのも、この絵はがき集が発行された1955(昭和30)年頃には、マヤカンは閉鎖中(復活は1961(昭和36)年)であり、かつマヤカンに隣接した遊園地も売店などは設置されてはいたものの、戦前の賑やかな状態とはほど遠いものであったと考えられる(本格的な再整備は1957(昭和32)年頃から)。こうした背景により、絵はがきに登場するマヤカンは小さく・不鮮明なわけであるが、それでも摩耶山中にひときわ目立つ建築物と感じられる。「摩耶山展望」に確認されるマヤカンは、増築以前の形態を明確にしている。

d0065273_0355620.jpg
摩耶山観光案内図」(表紙カバーに記載)

 この図から、マヤカンのあった中腹地区(ケーブル・ロープウェイ乗換地点)が単なる中継地点となっている様子をうかがえる。

d0065273_11571245.jpg
絵はがきの裏面

# by nk8513 | 2007-03-08 00:56 | Comments(0)