摩耶観光ホテルについて

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2006年 11月 05日

摩耶観光ホテルについて11(資料8)

資料紹介8
広告「国立公園まや山へ!」、神戸市交通局・まやケーブル、1961〜67年頃
 摩耶観光ホテルが短期間だが営業していた頃の広告。摩耶山の全景を上空から撮影しており、ケーブルやロープウェイやその駅をはじめ、天上寺・にじのかけ橋・バンガロー村、そして摩耶観光ホテルなどの山中施設の大半が確認される。
 ここで注目されるのは、バンガロー村の上部、「ロープウェイまや駅」付近である。ここは戦前「摩耶山遊園地」が存在した場所であり、戦後ケーブル復活・ロープウェイ開通後に「まやケーブル遊園地」として再整備された。六甲摩耶鉄道株式会社の社史(『六甲山とともに五十年』、1982)によると、以下の施設が設置されていたようである。
1957(昭和32)年6/07「売店および休憩所(木造)建設」
         5/07「遊園地下にバンガロー村開設」
1958(昭和33)年7/15「観覧車、チェンタワー等の遊戯具建設」
         8/21「木造展望台建設」
広告の印刷レベルや経年変化による劣化もあって不明瞭なものの、少なくともバンガローや観覧車等は確認できる。
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 さて摩耶観光ホテルの方だが、ここでは「まや観光ホテル」と記され、「ケーブルまや駅」の東側(右下)に確認できるが、その形態は、1960(昭和35)年頃に改装が施される以前の状態のままである。よってこの写真は、「まやケーブル遊園地」にバンガローや観覧車が設置された直後の57・58(昭和32・33)年頃のものと推測され、マヤカン自体は「摩耶観光ホテル」としてリニュアルする直前の閉鎖中の状態にあったと考えられる。写真からはその状態をよく確認できないが、戦前に設置されていた渡廊下に設置されていたカバーはなく、ケーブル線沿いのホテル左下部には、戦前にあっローラースケート場(あるいはベビーゴルフ場)の跡と思しき平坦地も存在しているが、それも使用しているようには感じられない。不明瞭ながらマヤカンを中心にした「ケーブルまや駅」の東側(右側)は、現在ほどではないにせよ、「廃墟」に近い状態にあったことを想像させる。

# by nk8513 | 2006-11-05 00:01 | Comments(3)
2006年 09月 27日

摩耶観光ホテルについて10(資料7)

資料紹介7
絵はがき集「摩耶山ケーブルカー CABLECAR ON MOUNT MAYA」、赤西萬有堂?

 以前にも指摘したように、1925(大正14)年1月のケーブル開通以来、摩耶山の観光化は進展し、それに付随してリーフレットや絵はがき類も少なからず発行された。ここれで紹介する絵はがき集もその1つであり、8枚の絵はがきから構成されている。第二次大戦前に製作された絵はがきの場合、その発行年代は勿論、製作者についても記されていない場合が多いが、今回紹介する絵はがきには、裏面に「KOBE AKANISI」と記されている。これがどのような業者であったか、私自身はよく調べてはいないが、ネット上の情報(公文書館や資料館・博物館、あるいは古書店のカタログなど)から、当時神戸に「赤西萬有堂」という業者が、リーフレットや地図類を発行していたことを確認できる。よってこの絵はがき集も同社によるものと推定される。
 ここで紹介するのは、8枚のうちケーブル開通に合わせて開業したとされる「摩耶山遊園地」に関するものである。残念ながらここには、マヤカン(摩耶山温泉ホテル)を写したものはないが、それに付随していた遊園地の雰囲気、あるいはその盛況ぶり等をうかがわせるものとして興味深い。ちなみに他の5枚のうち、1枚は「(摩耶名物)峻険のケーブルカー Mayasan Keburu」と題されたケーブルの情景(以前紹介したものと類似)、4枚は焼失前の天上寺のもの(本堂・塔・奥の院・石段)であった(後ろに提示)。

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カバー表紙

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絵はがき1 (摩耶名物)頂上摩耶駅 Mayasan Mayaeki

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絵はがき2 (摩耶名物)休憩場外景 Mayasan Kiukeisho

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絵はがき3 (摩耶名物)摩耶山休憩所 Mayasan Kiukeisho

 六甲摩耶鉄道株式会社の社史(『六甲山とともに五十年』、1982)によれば、「鋼索鉄道の開通と同時に(中略)摩耶駅付近に食堂、売店などを建設、遊園地には展望台、無料休憩所、遊戯具などを設備し、特に1929(昭和4)年11月には摩耶山温泉を竣工」(46㌻)と記されている。また同書に記された年表によると、以下の施設が確認される。
1925(大正14)年5/31 「摩耶駅付近に摩耶食堂開業 他に貸売店8戸開業」
1926(大正15)年2月  「ケーブル遊園地200坪開拓 遊戯具設置、桜、楓、桃、梅等数百本を植樹」
   同年    6月  「ケーブル遊園地に動物小屋新設」
1930(昭和 5) 年4月  「摩耶山遊園地内に、約4000石を容れる鉄筋コンクリート造貯水池完成」
1936(昭和11)年3/20  「摩耶駅西、元食堂の一部を改造し喫茶店を開業」
 このうち、ここに紹介した絵はがきからは、休憩所、動物小屋、遊戯具、植樹された樹木および、いくつかの店舗らしき建物を確認できる。また樹木の状態、および人々の服装から、季節は冬期と考えられる。これらからこの絵はがき集の発行年代は、どんなに早くても1926(大正15)年の年末頃と推定される。またケーブル・遊園地・天上寺と、摩耶山全体をカバーするような構成に対して、摩耶山温泉ホテルが欠如していることから、その開業以前(1929(昭和4)年11月)に発行された可能性も考えられる。

※補足(2009.10.09):絵はがき1 (摩耶名物)頂上摩耶駅 Mayasan Mayaekiを注視すると、駅舎・ホーム屋根の背後に、マヤカンへの覆い付きの渡り廊下らしきものを確認することができる。したがって、この絵はがき集の発行は、1929(昭和4)年11月以前ではなく、廊下が完成した1930(昭和5)年4月以降と判断される(摩耶観光ホテルについて15(資料12)、2008年4月参考)。

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絵はがき4(摩耶名勝)峻険のケーブルカー Mayasan Keburu

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絵はがき5(摩耶名勝)峻急なる石段 Maya Ishidan

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絵はがき6(摩耶名勝)頂上の塔 Mayasan Chojyo

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絵はがき7(摩耶名勝)天上寺本堂 Mayasan Tenjyoji

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絵はがき8(摩耶名勝)奥の院 Mayasan Okunoin

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絵はがき9 裏面

# by nk8513 | 2006-09-27 02:00 | Comments(7)
2006年 04月 02日

摩耶観光ホテルについて9(資料6)

資料紹介6
『爽涼 夏ノ摩耶山 海抜2000呎 大阪から阪神電車連絡 往復割引 1円 市バス共』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1936年夏

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爽涼 夏ノ摩耶山1

 ケーブル会社により作成されたリーフレット。タイトルの通り、夏季用のものであり、本文巻頭には「暑さ知らずのまや山」と記され、避暑地としての利用をアピールしている。ただ海抜2000呎(フィート)は、メートルに換算すると609.6mで、摩耶山の実際の標高696mより低い数値となっている。イラストには摩耶山上の施設として、摩耶山温泉ホテルや天上寺の他に、ケーブル開通の1925(大正14)年以来、設置されていた「夏季テント村」も描かれ、本文中にも「まや山テント休憩所(期間七月四日より、八月末日まで)」と記されている。

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爽涼 夏ノ摩耶山2

 これに加えてイラストには、海上に浮かぶ多数の艦船(明らかに軍艦)、上空には編隊を組む航空機が描かれている。リーフレット内には、海上の艦船を映したと思われる「まや山の展望」と題された写真が掲載され、その両側に「今秋の阪神沖特別大観艦式」「絶好の拝観場所はまや山」と記されている。六甲摩耶鉄道株式会社の社史(『六甲山とともに五十年』、1982)によれば、1930(昭和5)年10月26日に「特別大観艦式」、34(昭和9)年10月16日に「阪神沖に艦隊130隻入港」、36(昭和11)年10月29日に「特別大観艦式」等が行われ、摩耶山にはそれを見物する人々で賑わったという。これらの軍事イベントは、いずれも秋に行われていることから、このように夏からその予告をしていたことがわかる。問題は、この予告が何時のものかということだが、特別大観艦式と記されていることから、34年がまず除外される。また艦船の写真もあることから、予告された式以前に撮影されたものを使用していると推測できる。さらにリーフレットに掲載された「ハイキングコース案内」に、阪急神戸線が三宮まで記されている。阪急神戸線は、1920(大正9)年に開通したが、当初は梅田−上筒井(現・王子公園付近)間であり、それが現在のような三宮まで延伸されたのが36年4月である。これらを総合すると、予告された観艦式は36年のものであり、リーフレットも同年夏頃のものと判断される。ただし、ここには「1937」と手書きされ、さらに「元旦」の印字が押されており、このリーフレットが実際に購入・使用されたのは、演習終了後の1937(昭和12)年正月と推測される。


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爽涼 夏ノ摩耶山3

※補足(2009.10.09):ケーブル会社本社の表記が1936(昭和11)年2月以前の「箕岡通四丁目七四五」ではあるが、上記のことにより発行年は同年夏頃と考えられる。所在地が古い点については、所在地表記を変更した直後で混乱をさけるためか、あるいは以前に発行したリーフレットの原版をそのまま使用したためと推測される(摩耶観光ホテルについて18(資料15)、2009年10月参考)。


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爽涼 夏ノ摩耶山4

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まや山ホテル

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まや山食堂

 さて摩耶山温泉ホテルについては、以前紹介したガイドブックと同様、「摩耶山温泉」、「まや山食堂及ホテル」、「余興場」と相変わらす項目を分けて紹介されている。ただし「摩耶山温泉」には、「一階及二階ホテル、四階余興場、三階大食堂、特別室、娯楽室、浴場」と記されており、建物内部の構成が確認される。ホテルの写真は、戦前の絵はがき等にも使用されている南側から全景を見上げたものだが、食堂内部の写真は珍しいかもしれない(以前紹介したガイドブックとは食卓のレイアウトが異なる)。


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爽涼 夏ノ摩耶山5

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爽涼 夏ノ摩耶山6

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まや山温泉

 この写真は、「まや山温泉」として、女性達の入浴風景を後ろ姿ではなるが、全裸の状態で映している。この種の写真は、戦前は勿論、1960年代までの旅行ガイドブックにはごく一般的に確認されるもので、その読み手も男性を想定した書き方・構成になっている。よってこれらは、単に倫理観の差異ではすまない問題も見え隠れするが、ここでは別の理由からあえて紹介する。それは、この浴場の場所についてである(関連から以前紹介した写真も再掲載した)。現在、廃墟としてあまりにも有名になったマヤカンは、多数の廃墟本やネット上に多数の写真とともに紹介されている。しかし、それらから確認できる浴場(「家族風呂」等)については、3階部分から独立した階段で降りて行く2階のそれだけであり、これは明らかにこれらの写真とは異なる形態のものである。むしろ窓の形状から判断して、ここにあげた浴場は、現在ではその美しさが評価されている部屋(以下のサイト参照)ではないかと推測される。戦後の摩耶観光ホテル時代は、以前にも示唆したように宴会・パーティーを中心とした飲食主体の施設であり、ここも「カジアルコーナ等」とされていて、食堂の別室的位置づけになっていたようである。しかし、戦前の摩耶山温泉ホテルは、その名の通り「温泉」(地下水を湧かした程度のもの?)を中心にした施設であり、現在確認される浴場だけは、「温泉」としては不十分なものである。よって当初は、現在確認されるものとともに、この部屋も浴場として使用していたと思われる。

現在、確認される浴場
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美しいと評価されている部屋
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参考サイト:廃墟ディスカバリー(摩耶観光ホテル)
http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_376726.html
http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_50009871.html
http://blog.livedoor.jp/kobateck/archives/cat_50010287.html

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温泉浴場(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

# by nk8513 | 2006-04-02 21:30 | Comments(0)