摩耶観光ホテルについて

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2018年 07月 02日

摩耶観光ホテルについて50(資料47)

資料紹介47 絵はがき集「国立公園 摩耶山 NATIONAL PARK Maya」、奈良 岡村印刷工業、1950年代末~60年代初?
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表紙カバー表

 1950年代末から60年代初め頃に発行されたと思われる絵はがき集。発行元については、絵はがき裏の切手を貼る部分に「NARA OKAMURA PRINTING INDUSTRIES Co.」と記載されており、奈良県高取町にある岡村印刷工業だと思われる(後掲を参照)。マヤカンについては、ロープウェーの後景に確認されるが、摩耶観光ホテルとして再開された際に行われた増築部分は存在していない。よって、発行時期はともかく、絵はがきに使用された写真自体は、後述する状況も含めて1958年(昭和33)夏から60年(昭和35)夏頃にかけて撮影されたものと推定される。なお各絵はがきの状態から、これらは白黒写真に彩色をしたものと思われる。

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絵はがき1 国立公園 摩耶山 摩耶ケーブルカー National Park Mt.Maya The cable-car to Maya.

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絵はがき2 国立公園 摩耶山 摩耶山遊園地より神戸市と大阪湾を望む 
National Park Mt.Maya A view of Kobe City & Osaka Bay from the Maya (recreation) ground.

 ケーブル摩耶駅(現・虹の駅)西側にあった遊園地からみた眺め。海岸線は現在とは異なり、1960年代後半以降に埋め立てが行われる前の状態を確認できる。ただし、ここで注目されるのは、右の手前にある薄緑の構造物であろう。よく見ると、上部に人が乗れるような部分が2箇所あり、小型の観覧車のようなものであることがわかる。過去に何度も参照しているケーブル会社の社史『六甲山とともに五十年』(1982年(昭和57)発行)の「年譜」によれば、1958年(昭和33)7月15日に「まやケーブル遊園地に観覧車、チェンタワー等の遊戯具設備建設〈三洋遊戯機械㈱に委託経営〉」と記載されている。チェンタワーは、中心部の支柱部分が回転し、そこからチェーンでぶら下げられたブランコが回転する遊具機械であるので、ここに写っているのは、観覧車と思われる。この観覧車の存在から、今回の絵はがき集が、1958年夏以降に発行されたものと判断できる。なおチェンタワーはこの絵はがきからではわからないが、以前紹介した資料にそれらしきものを観覧車より東側で確認できる。
 絵はがきの表記にある「摩耶山遊園地」は、1925年(大正14)のケーブル開通以来、整備されたもので、食堂やテント村、小型の遊具や動物小屋、そして1929年(昭和4)には、マヤカンの原型をなす摩耶山温泉ホテルも、その中に建設された。第二次大戦によるケーブルの営業休止により、マヤカンも営業を中止したが、おそらく遊園地もそのまま放置され、しばらくは荒廃していたと思われる。それが、ケーブルの運転再開および奥摩耶ロープウェー開通の1955年(昭和30)以後に再整備され、食堂・休憩所・展望台・バンガロー村などが建設された。この状況は、戦前からの遊園地の再生という目的とともに、摩耶山頂部に整備された山上遊園地に対抗する意味合いもあったと考えられる。特に山上遊園地には、後述するマウントコースターやティーカップなどの大型遊具が設置されており、今回紹介した観覧車、チェンタワーの設置は、この3年後に摩耶観光ホテルとして再オープンしたマヤカンとともに、摩耶遊園地における中核となるべき遊具であったと推測される。ただし、これらは1970年以降の資料には確認されず、60年代末には撤去されたと思われる。マヤカン同様に短命であったのかもしれない。

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絵はがき3 国立公園 摩耶山 摩耶ロープウェー National Park Mt.Maya The rope-way to Maya.

 ロープウェー背後にマヤカンが確認できる。前述のように増築前の状態であり、撮影時期は摩耶観光ホテルとして再生する以前と判断できる。

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絵はがき4 国立公園 摩耶山 摩耶山上遊園地と展望台虹の懸橋 National Park Mt.Maya The Maya ground and observation atand.

 絵はがきの英語表記にある「atand」はstandの誤記と思われる(後掲の絵はがき裏面を参照)。

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絵はがき5 国立公園 摩耶山 摩耶山上遊園地 National Park Mt.Maya Recreation ground of the top of Maya.

 以前の絵はがき集等で登場したマウントコースターが確認できる。右側には、鉄骨で組んだコースのカーブ部分が、左側に「マウントコースター」と表記された乗降場と思しき建物等が確認される。山頂部の起伏をうまく利用した施設であったことが窺える。

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絵はがき6 国立公園 摩耶山 摩耶天上寺 National Park Mt.Maya A temple of Maya Tenjyo-tera.

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絵はがき7 国立公園 摩耶山 摩耶山よりの百万ドル夜景 National Park Mt.Maya A beautiful view from the top of Maya at night.

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絵はがき8 国立公園 摩耶山 奥摩耶放牧場 National Park Mt.Maya The pasture ground on Oku-maya.

 絵はがきのタイトルは「奥摩耶放牧場」となっているが、現在の六甲山牧場と思われる。

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表紙カバーの内側に記載された地図

 これとほぼ同一の地図が、以前紹介した絵はがき集にも記載されている(ただし、大丸神戸店で販売されていたと思われる表記があった)。その絵はがき集には発行元を示唆するものは確認できなかったが、この図から今回と同じ奈良の岡村印刷工業の発行とも考えられる。

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表紙カバー裏

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はがき裏面

 切手を貼る部分に菱形に岡村印刷工業と思われるアルファベット表記がある。また「2」と記載された菱形のマークは、同社の社章と思われる。


# by nk8513 | 2018-07-02 21:58
2018年 06月 29日

摩耶観光ホテルについて(目次)


1年表 
摩耶観光ホテルについて1-3(歴史1-3)
摩耶観光ホテルについて3(歴史3) 
摩耶観光ホテルについて2(歴史2)
摩耶観光ホテルについて1(歴史1)

2第2次大戦前の1925〜40年頃(主に摩耶山温泉ホテルの時期)
資料紹介1『摩耶山案内』摩耶鋼索鉄道株式会社、1929年
資料紹介4 絵はがき集「摩耶温泉土産」(一部)など
資料紹介5 『春はまや山へ』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1937(昭和12)年〜39(昭和14)年の春頃 
資料紹介6 『爽涼 夏ノ摩耶山 海抜2000呎 大阪から阪神電車連絡 往復割引 1円 市バス共』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1936年夏
資料紹介7 絵はがき集「摩耶山ケーブルカー CABLECAR ON MOUNT MAYA」、赤西萬有堂?
資料紹介10 『秋 観艦式拝艦之最好適地 大阪から阪神電車連絡往復割引1円 市バス共』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1936年秋
資料紹介11 『初詣 皇軍武運長久 家運隆昌 祈願』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1939年末
資料紹介12 絵はがき「(摩耶名勝)摩耶ホテル(Mayasan)Maya Hoteru」など(5枚)、赤西萬有堂、1935年頃?
資料紹介14 竣工間もない頃の摩耶山温泉ホテル (六甲ヒルトップギャラリー蔵)、1929年10〜11月頃
資料紹介15 『春の摩耶山 眺望絶佳 大阪から阪神電車連絡 往復割引たった一圓 』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1934〜1935年春頃 
資料紹介16 『春!! 武運長久祈願 霊峰 花のまや山』神戸名所 まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1938〜39年春頃 
資料紹介17 絵はがき「摩耶山上ホテル SOUVENIR OF MAYA」、赤西萬有堂、1935年頃 
資料紹介18 絵はがき集「摂津摩耶山」、赤西萬有堂、1935年頃 
資料紹介19 絵はがき集「摩耶山ホテル」「摩耶山遊園地」など、赤西萬有堂、1935年頃
資料紹介20 絵はがき集「摩耶山名勝」、赤西萬有堂、1935年頃?
資料紹介21 絵はがき「摩耶山ホテル View of M.T. Maya」、1935年頃?
資料紹介23 『神戸名所まや山』まやケーブル、1933〜34年頃
資料紹介24 絵はがき「神戸摩耶山・まや山ホテル露台」摩耶温泉?、1930年頃
資料紹介25 絵はがき集「摂津摩耶山参拝ケーブルカー(御土産)」、摩耶鋼索鉄道株式会社摩耶高尾駅構内売店
資料紹介26 絵はがき集「摂津摩耶山参拝ケーブルカー」、摩耶鋼索鉄道株式会社
資料紹介27 絵はがき(神戸)摩耶山 ケーブルより俯下せる神戸市及其郊外の大観 COMMANDING VIEW OF KOBE CITY AND ITS SUBURB FROM THE CABLE CAR ON MT. MAYA,KOBE.
資料紹介28 絵はがき「摩耶山全景」など、神戸 岡部商店印刷事務所?、1935年頃
資料紹介29 絵はがき集「摩耶山参拝記念絵葉書」、天上寺?、1930〜35(昭和5〜10)年頃?
資料紹介30 絵はがき集「摩耶山参拝記念絵葉書」、天上寺?、1930〜35(昭和5〜10)年頃?
資料紹介36 絵はがき「攝津摩耶山ケーブルカー急勾配ノ景」など3枚、1925〜29(大正14〜昭和4)年頃?
資料紹介37 摩耶鋼索鉄道株式会社発行の絵はがき、1929〜30年頃
資料紹介43 絵はがき集「摂津摩耶山 参拝記念 摩耶ケーブル」摩耶鋼索鉄道株式会社

3第2次大戦後の1950年代後半(マヤカンが閉鎖されていた時期)
資料紹介9 絵はがき集『摩耶山 MT.MAYA 総天然色八枚組』1955年頃
資料紹介31 絵はがき集「国立公園 奥摩耶 Okuyama National Park」、1956(昭和31)年頃
資料紹介32 絵はがき集「国立公園 まや山 NATIONAL PARK Mt.Maya」、摩耶鋼索鉄道株式会社、1950年代後半(昭和30年代前半)?
資料紹介34 リーフレット「静かな奥摩耶山荘」、神戸市電弘済会?、1950年代後半?
資料紹介35 リーフレット「日本ユースホステル協会指定 奥摩耶ハウス」、神戸市交通局、1955年?
資料紹介45 リーフレット「国立公園まや山 まやケーブル」、摩耶鋼索鉄道株式会社、1958~60年(昭和33~35)頃
資料紹介47 絵はがき集「国立公園 摩耶山 NATIONAL PARK Maya」、奈良 岡村印刷工業、1950年代末〜60年代初?

41960年代、摩耶観光ホテルの時期
資料紹介2 摩耶観光ホテルの案内など
資料紹介3 摩耶観光ホテルの案内など2
資料紹介8 広告「国立公園まや山へ!」、神戸市交通局・まやケーブル、1961〜67年頃
資料紹介13 「国立公園周遊指定地 摩耶山」、1967〜1970年頃
資料紹介38 映画「春日和」における摩耶観光ホテル(旧・六甲ヒルトップギャラリー蔵)、1966年冬〜67年初頭?
資料紹介44 『月刊神戸っ子』における摩耶観光ホテルの広告

51970年代以降(主に摩耶学生センターの時期)
資料紹介22 摩耶ケーブル・奧摩耶ロープウェイの乗車券(半券)、1971・69年頃
資料紹介33 「軍艦ホテル」(朝日新聞神戸支局編『兵庫の素顔』海文堂、1977(昭和52)年7月、174-175ページ)
資料紹介42 絵はがき集「国立公園 周遊指定地 摩耶山 NATIONAL PARK Mt.Maya, Kobe」、1972〜75年頃(昭和47〜50)
資料紹介46 「神戸・異国情緒(Exoticism in KOBE)」雑誌『an・an』(平凡出版社、現・マガジンハウス社)7巻19号(通巻No.155)、1976年(昭和51)9月20日、148~167ページ

6住宅地図(1956〜76年)
資料紹介39 住宅地図における摩耶山 その1(1956-64)
資料紹介40 住宅地図における摩耶山 その2(1966-69)
資料紹介41 住宅地図における摩耶山 その3(1971-76)

# by nk8513 | 2018-06-29 20:18
2018年 06月 03日

摩耶観光ホテルについて49(資料46)

資料紹介46 「神戸・異国情緒(Exoticism in KOBE)」雑誌『an・an』(平凡出版社、現・マガジンハウス社)7巻19号(通巻No.155)、1976年(昭和51)9月20日、148~167ページ

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神戸・異国情緒における摩耶観光ホテル・摩耶ケーブル

 雑誌『an・an』の記事「神戸・異国情緒」に登場したマヤカンと摩耶ケーブル。年代的には、摩耶学生センターとなっていたと思われるが、紹介文には摩耶観光ホテルと記されている。渡り廊下付近のみが断片的に切り取られた小さい写真であるが、多少傷んでいる様子が確認できる(ただし最近よりははるかに状態は良いと思われるが…)。

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神戸・異国情緒1「異人館」(148-149ページ)

 さてこの記事を紹介するにあたり、必要な基礎的情報を長くなるが以下に記す。
 雑誌『an・an』は1970年3月に創刊された。当時は既存の雑誌とは異なる斬新な内容(上野千鶴子ほか参考文献参照)で話題を集めたようであるが、その中で1971年頃から現在では考えられない特集記事が組まれた。それは、京都や京都に準じる風格を備えた小京都に位置づけられる地方都市、あるいは伝統的生活文化が残っている農山漁村を紹介する内容で、ガイドブック的に使用できるほど詳細なものも少なくなかった。こうした旅行案内的な特集記事が、1980年頃までほぼ毎号掲載されていた。さらに同種の記事は、やはり同時期に創刊された『non-no』(集英社、1971年(昭和46)~)でも毎号組まれることになった。
 これらの背景として、an・anやnon-noの読者と考えられる若い女性による旅行へのニーズ、および高度経済長期を経て、江戸時代的な伝統文化や建物、たたずまい等の希少性が高まったこと等があげられる。これらは、同時期に国鉄よって行われたディスカバー・ジャパン・キャンペーン(1970年(昭和45)10月~76年(昭和51)12月)のコンセプト(旅の向こうに美しい(昔ながらの)日本を発見する)や若い女性を主な想定客としている点などに典型的にあらわれている。an・anやnon-noの旅行特集記事は、ディスカバー・ジャパンとは直接関係していなかったが、通底する内容であったために、ディスカバー・ジャパンが注目される大きな助けとなった。それは、小京都に群れ集まる女性の旅行者を、両雑誌名をもじってアンノン族と呼ばれたことから確認される。
 さて上記のように、1970年代では小京都的な場所が新たな観光地として人気を博した。an・an・non-noの特集記事の大半もそうした場所が中心であったが、これとは異なる方向性の場所を取り上げた記事も存在した。それは、神戸や横浜、長崎、函館、あるいは自然や広大な農村景観に注目した北海道などで、いずれも非日本的、非伝統的イメージという点で共通していた。特に今回取り上げた神戸などは、近代初頭から欧米諸国に開かれた港町で、欧米流の文化・習慣や建築物がいち早く導入され、それらが残存する場所として、おそらくは現実以上にエキゾチックなイメージが強調されていた。この当時は、例えば1ドル=360円の固定相場が1971年(昭和46)8月まで実施されていたように、外貨と比較して円が安く、外国旅行が現在の水準よりはるかに高価なものであった。したがって、行きたくても行けないアメリカやヨーロッパの代替地として、この神戸のような、少しでも異国情緒を感じさせる国内の場所が注目されていたのである。
 ちなみに異人館が多く残る神戸の北野・山本通周辺を特に有名にしたNHKの朝のドラマ『風見鶏』は、1977年(昭和52)10月から78年(昭和53)4月まで放映されており、今回の特集記事の後である。神戸の異人館に対する『風見鶏』のインパクトは、大変有名であるが、この記事のように、それ以前からエキゾチックなイメージは高まっていたと思われる。
 なお今回の特集記事は、ガイドブックではなく、エキゾチックイメージを構成演出しつつ、若干の名所や飲食店の情報とともに、服やグッズなどを紹介するというカタログ的な記事ともなっている。この当時は、京都や小京都などをロケ地にして、こうしたカタログ記事を作成することも少なくなった。

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神戸・異国情緒2「北野付近」(150-151ページ)

 右側の異人館は、前の『風見鶏』に登場し、現在は重要文化財に指定されている「風見鶏の舘」(旧トーマス邸)である。当時は中華同文学校(中国系の学校)の寮となっていた。左側は、神戸電鉄の社長を努めた小林秀雄夫妻で、現在では「萌黄の館」(旧シャープ邸)と呼ばれる異人館に居住していた。

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神戸・異国情緒3「散歩道」(152-153ページ)

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神戸・異国情緒4「港」(155ページ)

 ポートターミナルのことが紹介されているが、ランドマークとなるポートタワーは文中で紹介されているものの、写真は掲載されていない。

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神戸・異国情緒5「塩屋」(156-57ページ)

 ここに登場する「シーサイドクラブ・パレス塩屋」は、現在閉店しているようである(久保田洋一のブログ 明石大橋から塩屋まで歩きました)。


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神戸・異国情緒6「六甲」(158-59ページ)

 六甲とはいいつつも、羊が点在する六甲山牧場と摩耶観光ホテル&ケーブルがメインである。ただし、摩耶ケーブルの上のモデルが乗っているのは、形状からして六甲ケーブルだと思われる。

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神戸・異国情緒6「六甲」の摩耶観光ホテル

 「摩耶ケーブルの終点にある摩耶観光ホテルは現在使われていない」と記している点は注目される。実際には、簡易宿泊所である摩耶学生センターの営業を開始していたと考えられるが、それは地元の大学生などに限定されたインフォーマルな形態だったとも推測される。写真からは、確かに荒れた雰囲気が感じられるが、「アンダルシアの古城にでもいるようだ」と評している。

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神戸・異国情緒7「ホテル」(161ページ)

 ここに登場する「雅叙園ホテル」は神戸高速鉄道 花隈駅北西にあった異人館を活用したホテルだった。阪神淡路大震災で被害を受けたようで、現在跡地にはマンションが建っている(晴れのち晴れ 神戸雅叙園ホテル)。

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神戸・異国情緒8「買物」(163ページ)

 ここに登場する「オクトーバー14」は、旧中国領事館であった建物を再利用して、1990年代半ばまでは営業していたようである。現在は「坂の上の異人館」として公開されている。

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神戸・異国情緒9「骨董」(165ページ)


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神戸・異国情緒10「神戸肉」(166-67ページ)

 ここに登場する「キングス・アームス」は、神戸の中心地・三宮を南北に通るフラワーロードの東側(東遊園地付近)にあった店舗であった。震災の影響で閉店したようである。(阿智胡地亭のShot日乗 神戸にあったパブ「キングス アームス」

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『an・an』7巻19号(通巻155)表紙

 エキゾチックなイメージを演出するとはいえ、ここに提示された神戸と実際の神戸とはかなりの乖離があるようにも感じられる。それには、ここに登場する人物が、外国人(欧米人)がメインとなっている点も影響している。彼らの一部は、神戸在住の者かもしれないが、大半はモデルではないかと思われる。少々演出が過ぎている点は否めない。

参考文献
赤木洋一『「アンアン」1970』平凡社、2007.1
上野千鶴子「女性誌ニュージャーナリズムの同世代史」(『「私」探しゲーム 欲望私民社会論 』筑摩書房)、1987(増補版1992.6・原典は『朝日ジャーナル』1984年11月23日号)
難波功士『族の系譜学 ユース・サブカルチャーズの戦後史』青弓社、2007.6
原田 ひとみ「アンアン"ノンノの旅情報 マスメディアによるイメ-ジ操作」地理(古今書院発行の月刊誌)29-12、1984.12、p.50-57
林 真希・十代田 朗・津々見 崇「ディスカバー・ジャパン・キャンペーンの方法及び対象に関する基礎的研究」日本観光研究学会全国大会学術論文集22、2007.12、p.237-240
藤岡和賀夫『ディスカバー・ジャパン』PHP研究所、1987.12(電通により1991.11再販)
森 彰英『「ディスカバー・ジャパン」の時代 新しい旅を創造した、史上最大のキャンペーン』交通新聞社、2007.2


# by nk8513 | 2018-06-03 11:50