2011年 02月 18日
資料紹介19 絵はがき集「摩耶山ホテル」「摩耶山遊園地」など、赤西萬有堂、1935年頃 摩耶山温泉ホテル時代の絵はがき数枚。発行は、裏面に 「KOBE AKANISI」と記されており、以前と同様に「赤西萬有堂」と考えられる。それぞれは、本来なら6〜8枚程度のセットの中の1枚であったが、「摩耶山関連の絵はがき15枚」という形態で入手したため、どのようなセットになっていたかは不明なままである。また例によって発行年次は記載されていないが、後述する状況などから、以前紹介したものと同じく1935(昭和10)年頃と推測される。 絵はがき1 摩耶山ホテル The Maya-mountain Hotel この絵はがきは、マヤカンを南西側から見たもので、手前の1・2階部分は客室(1階和室・2階洋室)、3階は大食堂、奥に見える部分は大浴場(現在では「額縁の部屋」などと表され、その魅力がよく言及されている部屋)で、その上に余興場(大ホール)部分が一部確認できる。見ての通り、ホテル前面に満開の桜と思しき木々が多数確認され、春の光景であることがわかる。前回などでも言及したように、マヤカン南側下部は「野田山遊園地」として遊歩道、遊具、動物小屋などが整備され、また桜などの植樹されており、ここでも斜面に遊歩道および右奥に休憩所のような施設も確認できる。なおこの構図と同様のものは、以前紹介した「六甲ヒルトップギャラリー」(以下、「六甲」と略す)でも公開されている(http://hilltop-g.com/jyosetu/jy29.html 現在はサイト閉鎖、2013年11月確認)。 絵はがき2 摩耶山ケーブル The Maya-cable この構図は他の絵はがきでも確認できる定番的なものである。ここの上部(摩耶山上)ではマヤカンは望見されていないが、ケーブル線の西側に複数の建物が確認できる、このうち右の2つは崖にせり出しているように感じられる。この状態から、これらは後述の通り、どちらも「展望台」であったと推測される。 絵はがき3 摩耶山遊園地展望台 The Maya-mount Park ケーブル摩耶駅を挟んで、マヤカンと反対側(西側)の「摩耶山遊園地」の展望台付近の光景。手前に木馬が置かれ、子供が乗っている。同様のものが「六甲」でも確認でき、ここに常備されていたと思われる。こちらも桜が満開であり、以前紹介した通り(摩耶観光ホテルについて8(資料5) 2006年3月)、当時は桜の名所であったことが窺われる。一方、タイトルにもある「展望台」であるが、これは前回紹介したもの(摩耶観光ホテルについて21(資料18) 2010年9月)、または以前紹介した「休憩所」(摩耶観光ホテルについて10(資料7)2006年9月)、いずれとも明らかに形状が異なるものである。これは展望台が建て替えられた可能性もあるが、前述の摩耶山下部から見た状態からして、おそらくは展望台が2つあったと判断される。よく見ると、木馬に乗っている子供の後ろに屋根らしきものが見えているが、この形状は前回紹介した展望台と類似している。よって、当時は東側の一段低い所と西側の高い場所にそれぞれ展望台が設置されていたと判断される。ちなみに、これらいずれも「六甲」で公開されているものでも確認できる(http://hilltop-g.com/jyosetu/jy20.htmlおよびhttp://hilltop-g.com/jyosetu/jy24.html 現在はサイト閉鎖、2013年11月確認)。 絵はがき4 摩耶山遊園地 The Maya-mount Park 今回紹介したもので、特に興味深いものがこの絵はがきである。「摩耶山遊園地」と題されたこれは、遊園地を上部から見下ろすような特異な構図を呈している。斜面上に広がる状態から、実際にはここは「野田山遊園地」と判断される。細部を検討すると、前回や「六甲」で公開されているもの等で見られた遊歩道や遊具、動物小屋などや、さらには飲食物を販売していたと思われる売店も確認できる。他資料と総合すると、おそらくはマヤカンの大食堂・屋上か、あるいは駅からの渡り廊下付近から撮影されたものと思われる。ここでは多数の人々も確認でき、同所が確かに遊園地であったことを示しているが、見て通りの急斜面であり、上下の移動は大変であったとも推測される。 なお、この野田山遊園地は第二次大戦後にはまったく確認できない。常識的に考えれば、第二次大戦中から戦後のケーブルが運転休止(マヤカンも営業停止)していた昭和10年代末から20年代に荒廃が進み、放棄されたと判断するの妥当かもしれない。しかし、以前「六甲」で所蔵されている摩耶山関連の写真資料を拝見した際、今回とは逆に同所付近からマヤカンを見上げる構図ものを確認したが、そこには土砂と岩が剥き出しの状態で、木々も遊具もまったく確認できず、そのはるか上にマヤカンが見えるという非常に荒廃したものであった。記憶が正確ではないが、確かその写真には昭和13年(月日は忘却)に撮影されたとメモ書きされていた。同年7月5日には有名な「阪神大水害」が発生しており、ケーブル会社の社史(『六甲山とともに五十年』1982)によれば、摩耶山でもケーブルの「トンネル下部分の線路流出、電線路損傷、山上遊園地の土砂崩壊などの大被害を受けた」(46頁)と記されている。このことから「六甲」に所蔵された写真はその時の土砂崩壊を記録したものと考えられる。社史によれば、水害から1ヶ月後には復旧工事が完了し営業再開した(194頁)としているが、写真を見る限り、とても1ヶ月で再開できるような状態とは思えないほどの状態であった。よって、おそらくは野田山遊園地は、これによって営業自体を断念、そのまま放棄されたのではないかとも推測される。 絵はがき5 摩耶山天上寺参詣道献燈 The visiting-road of Tenzho-temple 絵はがき6 摩耶山天上寺参道の桜 The visiting-road of Tenzho-temple 絵はがき7 摩耶山忉利天上寺本堂 The Tenzho-temple of Maya-mountain 絵はがき8 摩耶山忉利天上寺夫人堂 The Tenzho-temple of Maya-mountain 絵はがき9 摩耶山忉利天上寺多宝塔と極楽桜 The Taho-tower and Gokuraku-cherry 絵はがき10 摩耶山忉利天上寺波銭の手水鉢 The Washig-water Bowl of Tenzyo-temple なお上記絵はがきの一部は「摩耶山および摩耶観光ホテル関連資料」で紹介していたが、ここで改めて紹介する。
by nk8513
| 2011-02-18 18:05
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