2015年 07月 06日
資料紹介40 住宅地図における摩耶山 その2(1966-69) 地図1 『灘区 西部(観光と産業の神戸市住宅地図)』関西図書出版社、1966 1966(昭和41)年発行の住宅地図による摩耶山。発行者は64(昭和39)年以前の神戸地学協会から関西図書出版社となっているが、これが現・ゼンリンの前身の一社である(神戸地学協会との関係は不詳)。地図は等高線を表現している点では64年版と同様だが、全体的には範囲を限定して、諸施設を大きめに表現している。内容的には、ケーブル摩耶駅周辺はマヤカンを含めて特に変化はないが、現在廃墟化している摩耶花壇の周辺は無記名の建物が一棟あるので、64年に見られたバンガロー村は表記されていない。天上寺周辺は門前の茶屋と思しき建物も含め特に変化はなく、「神戸高校 静嘿園」も記載されている。一方、山上(奥摩耶)地区では、「あじさい池」が新たに記載、その東側のマウントコースターをジェットコースターと表記、その北側にあったサマーハウス村(バンガロー村)の記載がなくなった等の変化が確認される。 地図2 『灘区 西部(観光と産業の神戸市住宅地図)』関西図書出版社、1968 1968(昭和43)年発行の住宅地図による摩耶山。この68年の前年の67(昭和42)年は、摩耶観光ホテルが水害により営業を停止した年(映画『春日和』の撮影も行われた)であるが、神戸市立中央図書館には67年版は所蔵されてない。ただし灘区の東部版は67年版が存在する一方、逆に68年版は所蔵されていないことから、あるいは西部版の67年版は発行さていないとも考えられる。いずれにしろ前の66年版からこの68年版の間に、マヤカンに大きな変化があったはずであるが、地図には66年と変化なく「摩耶観光ホテル」と表記されている(厳密には建物の左上に「WC」(トイレ?)との表記が付加されている)。こうした状態はその後も継続し、先に紹介すると1995年、つまり阪神淡路大震災が発生した直後の版まで、住宅地図では一貫して摩耶観光ホテルと表記されつづけられているのである。これにはニつ、あるいは三つの可能性が想定できる。一つは、単なる未確認で、震災後に閉鎖状態であることを確認したというもの、もう一つには、正規のホテルの営業は停止したものの、摩耶学生センターという事実上の宿泊施設としての営業状態を考慮して、あえて以前の耶観光ホテルの名称で表記したという可能性である。おそらくは後者が正解だとは考えられるが、この68年から70年代前半までは、学生センターとしても営業していなかったはずで、これは未確認というより、閉鎖が一時的なものかどうか、先行きが不透明であったため、とりあえず以前の表記のままにしたとも考えられる。なお内容的にはあまり変化はないが唯一、ケーブル摩耶駅周辺に「喫茶MAYA77」という施設が新たな施設として確認される(詳細は不明)。 地図3 『灘区 西部』ゼンリン、1969 1969(昭和44)年発行の住宅地図による摩耶山。発行者がゼンリンに変更になったものの、前述のとおり関西図書出版は同社の前身であることから、地図の表現は同一の形態となっている。内容的には以下のような変化が確認できるが、マヤカンを含め全体的には大きな違いはない。 ケーブル摩耶駅周辺:それまで「チエンタワー」と表記された部分が、ここでは「子供スポーツカー乗り場」と変更、また「大阪チタニューム山の家」と表記された2つ建物の内、一つが単に「山の家」、もう一つは「大阪税関芦屋市職員互助会」との表記となっている。このうち前者に関して、ケーブル会社の社史『六甲山とともに五十年』の年譜によれば、69年4月25日に「まやケーブル遊園地に子供用スポーツカー設置 スポーツカー10台(ロータリー、車庫工事)」と記載されているので、これを示していると思われる(タワーについての記載なく、いつ撤去されたか不明)。後者は、おそらくバンガロー的な建物の所有者・管理者が変更になったものと考えられる。また現・摩耶花壇は、これまで無記載であったが、ここでは「アキヤ」と表記されている。 天上寺周辺:これまで無記名の建物はいくつか記載されていたが、ここでは「護摩堂」「休憩所」「鐘楼」と記載され、さらに個人名の建物が分割され、一つ「二重塔」(多宝塔)と表記されている。 山上(奥摩耶)地区:「マヤ山上駅」にあった「食堂」「マヤ山派出所」の記載がなくなり、代わって「2Fレストラン十字路」と表記され、またあじさい池の東側に「野外ステージ」が付加、またその北側の個人名だった建物が「神戸市交通局係員詰所」、駅西方の「ユースホステル奥摩耶ハウス」が「市立摩耶高校市立御影工高奥摩耶ハウス」、そして旅館「奥摩耶山荘」の部分が「奥摩耶国民宿舎(仮名)建設中」と、それぞれ名称が変更されている。このうち奥摩耶山荘に関して、先の社史の年譜によれば、この翌70年4月11日に「国民宿舎神戸摩耶ロッジ」が開業していることから、この時期には奥摩耶山荘は営業停止、建物も撤去され、摩耶ロッジの建設が開始されていたことを確認できる。 追記:個人名についてはすべて修正した。
by nk8513
| 2015-07-06 17:01
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