2018年 06月 03日
資料紹介46 「神戸・異国情緒(Exoticism in KOBE)」雑誌『an・an』(平凡出版社、現・マガジンハウス社)7巻19号(通巻No.155)、1976年(昭和51)9月20日、148~167ページ 神戸・異国情緒における摩耶観光ホテル・摩耶ケーブル 雑誌『an・an』の記事「神戸・異国情緒」に登場したマヤカンと摩耶ケーブル。年代的には、摩耶学生センターとなっていたと思われるが、紹介文には摩耶観光ホテルと記されている。渡り廊下付近のみが断片的に切り取られた小さい写真であるが、多少傷んでいる様子が確認できる(ただし最近よりははるかに状態は良いと思われるが…)。 神戸・異国情緒1「異人館」(148-149ページ) さてこの記事を紹介するにあたり、必要な基礎的情報を長くなるが以下に記す。 雑誌『an・an』は1970年3月に創刊された。当時は既存の雑誌とは異なる斬新な内容(上野千鶴子ほか参考文献参照)で話題を集めたようであるが、その中で1971年頃から現在では考えられない特集記事が組まれた。それは、京都や京都に準じる風格を備えた小京都に位置づけられる地方都市、あるいは伝統的生活文化が残っている農山漁村を紹介する内容で、ガイドブック的に使用できるほど詳細なものも少なくなかった。こうした旅行案内的な特集記事が、1980年頃までほぼ毎号掲載されていた。さらに同種の記事は、やはり同時期に創刊された『non-no』(集英社、1971年(昭和46)~)でも毎号組まれることになった。 これらの背景として、an・anやnon-noの読者と考えられる若い女性による旅行へのニーズ、および高度経済長期を経て、江戸時代的な伝統文化や建物、たたずまい等の希少性が高まったこと等があげられる。これらは、同時期に国鉄よって行われたディスカバー・ジャパン・キャンペーン(1970年(昭和45)10月~76年(昭和51)12月)のコンセプト(旅の向こうに美しい(昔ながらの)日本を発見する)や若い女性を主な想定客としている点などに典型的にあらわれている。an・anやnon-noの旅行特集記事は、ディスカバー・ジャパンとは直接関係していなかったが、通底する内容であったために、ディスカバー・ジャパンが注目される大きな助けとなった。それは、小京都に群れ集まる女性の旅行者を、両雑誌名をもじってアンノン族と呼ばれたことから確認される。 さて上記のように、1970年代では小京都的な場所が新たな観光地として人気を博した。an・an・non-noの特集記事の大半もそうした場所が中心であったが、これとは異なる方向性の場所を取り上げた記事も存在した。それは、神戸や横浜、長崎、函館、あるいは自然や広大な農村景観に注目した北海道などで、いずれも非日本的、非伝統的イメージという点で共通していた。特に今回取り上げた神戸などは、近代初頭から欧米諸国に開かれた港町で、欧米流の文化・習慣や建築物がいち早く導入され、それらが残存する場所として、おそらくは現実以上にエキゾチックなイメージが強調されていた。この当時は、例えば1ドル=360円の固定相場が1971年(昭和46)8月まで実施されていたように、外貨と比較して円が安く、外国旅行が現在の水準よりはるかに高価なものであった。したがって、行きたくても行けないアメリカやヨーロッパの代替地として、この神戸のような、少しでも異国情緒を感じさせる国内の場所が注目されていたのである。 ちなみに異人館が多く残る神戸の北野・山本通周辺を特に有名にしたNHKの朝のドラマ『風見鶏』は、1977年(昭和52)10月から78年(昭和53)4月まで放映されており、今回の特集記事の後である。神戸の異人館に対する『風見鶏』のインパクトは、大変有名であるが、この記事のように、それ以前からエキゾチックなイメージは高まっていたと思われる。 なお今回の特集記事は、ガイドブックではなく、エキゾチックイメージを構成演出しつつ、若干の名所や飲食店の情報とともに、服やグッズなどを紹介するというカタログ的な記事ともなっている。この当時は、京都や小京都などをロケ地にして、こうしたカタログ記事を作成することも少なくなった。 神戸・異国情緒2「北野付近」(150-151ページ) 右側の異人館は、前の『風見鶏』に登場し、現在は重要文化財に指定されている「風見鶏の舘」(旧トーマス邸)である。当時は中華同文学校(中国系の学校)の寮となっていた。左側は、神戸電鉄の社長を努めた小林秀雄夫妻で、現在では「萌黄の館」(旧シャープ邸)と呼ばれる異人館に居住していた。 神戸・異国情緒3「散歩道」(152-153ページ) 神戸・異国情緒4「港」(155ページ) ポートターミナルのことが紹介されているが、ランドマークとなるポートタワーは文中で紹介されているものの、写真は掲載されていない。 神戸・異国情緒5「塩屋」(156-57ページ) ここに登場する「シーサイドクラブ・パレス塩屋」は、現在閉店しているようである(久保田洋一のブログ 明石大橋から塩屋まで歩きました)。 神戸・異国情緒6「六甲」(158-59ページ) 六甲とはいいつつも、羊が点在する六甲山牧場と摩耶観光ホテル&ケーブルがメインである。ただし、摩耶ケーブルの上のモデルが乗っているのは、形状からして六甲ケーブルだと思われる。 神戸・異国情緒6「六甲」の摩耶観光ホテル 「摩耶ケーブルの終点にある摩耶観光ホテルは現在使われていない」と記している点は注目される。実際には、簡易宿泊所である摩耶学生センターの営業を開始していたと考えられるが、それは地元の大学生などに限定されたインフォーマルな形態だったとも推測される。写真からは、確かに荒れた雰囲気が感じられるが、「アンダルシアの古城にでもいるようだ」と評している。 神戸・異国情緒7「ホテル」(161ページ) ここに登場する「雅叙園ホテル」は神戸高速鉄道 花隈駅北西にあった異人館を活用したホテルだった。阪神淡路大震災で被害を受けたようで、現在跡地にはマンションが建っている(晴れのち晴れ 神戸雅叙園ホテル)。 神戸・異国情緒8「買物」(163ページ) ここに登場する「オクトーバー14」は、旧中国領事館であった建物を再利用して、1990年代半ばまでは営業していたようである。現在は「坂の上の異人館」として公開されている。 神戸・異国情緒9「骨董」(165ページ) 神戸・異国情緒10「神戸肉」(166-67ページ) ここに登場する「キングス・アームス」は、神戸の中心地・三宮を南北に通るフラワーロードの東側(東遊園地付近)にあった店舗であった。震災の影響で閉店したようである。(阿智胡地亭のShot日乗 神戸にあったパブ「キングス アームス」) 『an・an』7巻19号(通巻155)表紙 エキゾチックなイメージを演出するとはいえ、ここに提示された神戸と実際の神戸とはかなりの乖離があるようにも感じられる。それには、ここに登場する人物が、外国人(欧米人)がメインとなっている点も影響している。彼らの一部は、神戸在住の者かもしれないが、大半はモデルではないかと思われる。少々演出が過ぎている点は否めない。 参考文献 赤木洋一『「アンアン」1970』平凡社、2007.1 上野千鶴子「女性誌ニュージャーナリズムの同世代史」(『「私」探しゲーム 欲望私民社会論 』筑摩書房)、1987(増補版1992.6・原典は『朝日ジャーナル』1984年11月23日号) 難波功士『族の系譜学 ユース・サブカルチャーズの戦後史』青弓社、2007.6 原田 ひとみ「アンアン"ノンノの旅情報 マスメディアによるイメ-ジ操作」地理(古今書院発行の月刊誌)29-12、1984.12、p.50-57 林 真希・十代田 朗・津々見 崇「ディスカバー・ジャパン・キャンペーンの方法及び対象に関する基礎的研究」日本観光研究学会全国大会学術論文集22、2007.12、p.237-240 藤岡和賀夫『ディスカバー・ジャパン』PHP研究所、1987.12(電通により1991.11再販) 森 彰英『「ディスカバー・ジャパン」の時代 新しい旅を創造した、史上最大のキャンペーン』交通新聞社、2007.2
by nk8513
| 2018-06-03 11:50
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