摩耶観光ホテルについて

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2018年 08月 07日

摩耶観光ホテルについて51(資料48)

資料紹介48 絵はがき「MAYASAN HOTEL KOBE」摩耶鋼索鉄道株式会社、1929~30年頃?

 ケーブル会社による絵はがき。発行年は不明だが、マヤカンが摩耶山温泉ホテルとして竣工した直後の1929年(昭和4)の年末から翌30年(昭和5)頃かとも推測される。ネットの市場でもよく登場し、また一部の神戸・六甲関連の郷土史的な書籍等でも紹介されており、摩耶山・マヤカンに関心のある関係者には、比較的有名なものと思われる。ただしこの絵はがきは、現在確認できるケーブル会社の絵はがき集に含まれておらず、また天上寺やケーブルなど摩耶山関連でも、類似した油絵調の絵はがきは確認されない。加えて、今回の絵はがきと同じく書籍・ネットで確認されるものとして、マヤカンをイラスト風に描いた絵はがきも存在するが、これも他に類似したものは確認できない。よってこれらの絵はがきは、セットではなく、単独で販売されていた可能性が高いと判断される。
 これらと関連するものとして、例の社史『六甲山とともに五十年』でケーブル会社の絵はがきが4枚紹介されている。いずれも摩耶山全体にケーブルや天上寺等を配したイラスト風の共通したもので、これらも単品であったと思われる(類似したものを当ブログでも紹介済み)。ただここには、最寄り駅の上筒井駅(当時の阪急神戸線終点、現・王寺公園駅西側付近)からケーブル摩耶駅へのバス路線や会社の所在地、あるいは「賀正 大正丙寅元旦」などが記されているものもあり、販売用とともに会社の営業用(贈答・配布)としての性格もあったと考えられる。

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絵はがき「MAYASAN HOTEL KOBE」

 構図はタイトルの通り、マヤカンが右手に大きく描かれており、中央上部に天上寺にあった多宝塔と摩耶山頂部、左下に神戸の市街地と煙をあげる船舶が配されている。当時のマヤカンはケーブル会社の直営だったため、この現実離れした大きさで存在感を示そうとしたと思われるが、一方で、肝心のケーブルの線路・駅・車両は描かれていない。これが、マヤカンのみを強調することを最初から想定した結果か、あるいは当初はケーブルなども含める予定だったが、完成したのが今回の構図で、作者の意図等を尊重して、特に修正を加えなかっただけなのか、判然としない。ちなみに、特にサインもないので、作者が誰かも確認できない。

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絵はがき「MAYASAN HOTEL KOBE」(裏面)


by nk8513 | 2018-08-07 11:35 | Comments(0)


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