摩耶観光ホテルについて

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2020年 03月 07日

摩耶観光ホテルについて53(資料50)

資料紹介50
「摩耶山」など(日本国有鉄道編集「旅行画報 トラベルグラフ」No.169、1967(昭和42)年12月)

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 トラベルグラフは国鉄が1951年から1985年まで発行していた旅行雑誌。内容のメインは、各号ごとの特定地域・テーマの特集であるが、グラフや画報という名称の通り、写真を多く使用する(ただし現在から見ると特に多いとは感じられないが…)。また読者から投稿された観光地の写真を掲載するページもあり、写真雑誌的な性格もある。今回取り上げたのは、マヤカンが摩耶観光ホテルとして営業していた頃(厳密には閉鎖直後の可能性もあり、後述)の六甲山や神戸を特集号である。マヤカンが含まれる摩耶山については口絵部分と本文29ページに掲載されており、写真および文章からマヤカンが確認される。

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摩耶山 Mt.MAYA(口絵部分)

 摩耶山(698㍍)へは、急こう配のケーブルと原始林をひとまたぎしてロープウェイで登れ、山上からは阪神の市街と神戸港が一望され、夜景がすばらしい。散布の原始林に包まれて仏母摩耶夫人をまつる忉利天上寺がある。(口絵の説明文)

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摩耶山へ一直線に登るケーブルとロープウェイ

 この写真は、同様の構図のものが複数の資料に掲載されているもので、特に「資料紹介8 広告「国立公園まや山へ!」、神戸市交通局・まやケーブル、1961~67年頃」と同一のものと思われる。ケーブル摩耶駅右下にマヤカンが確認されるが、これは摩耶観光ホテルとして1960(昭和35)年頃に増築改装が施される前の形態となっている。したがってこの写真は、「まやケーブル遊園地」にバンガローや観覧車が設置された直後の1957~58(昭和32~33)年頃に撮影されたと推測され、今回のトラベルグラフ発行の10年前のものということになる。

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きらめく神戸の市街地と港の灯・灯・摩耶山から

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摩耶山の山腹に忉利天上寺

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広告:国立公園周遊指定地 まや山(まやケーブル)

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摩耶山・摩耶山天上寺など(本文部分)

 本文の摩耶山にはケーブル・ロープウェーを乗って摩耶山に登っていく順に名所や施設が記されている。マヤカンは「まや観光ホテル」という表記になっている。

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奥摩耶遊園地からロープウェイと摩耶山天上寺・神戸港を見下ろす

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トラベルグラフ表紙

 トラベルグラフの表紙は、神戸の海岸通から元町駅、北野方面、背後の六甲山が映る構図で、おそらくポートタワーから撮影されたものと思われる。手前の小型作業船がひしめく船溜まりはその後埋め立てられ、現在はメリケンパークの一部となっている。背後の高架道路は1966(昭和41)年10月に開通した阪神高速3号神戸線、その後ろにいくつかの近代建築物が確認される。このうち、左から2棟目の建物は現存する「海岸ビルヂング」(1911(明治44)年 竣工)である。国鉄高架線の右手奥にドーム屋根の建物が確認できるが、これは1980年頃まで営業していたキャバレー「新世紀」(参考サイト:ABC、跡地は現在、1988(昭和63)年から営業を開始した東急ハンズ三宮店)と思われる。
 市街地の後ろの六甲山の山並みは、斜面がむき出しになっている部分が散見されるが、おそらくこれらは1967(昭和42)年7月に発生した「昭和42年7月豪雨」の際に崩落した部分と推測される。今回紹介したトラベルグラフの発行は豪雨から5ヶ月後であり、本文に災害に関する記載はないものの、ここでの神戸特集は豪雨被害からの復旧を果たしていることを示そうとしているとも感じられる。
 ただしマヤカンに関して、通説では67年7月の豪雨で被害を受けて摩耶観光ホテルとしての営業を停止したことになっているが、今回の記事には「まや観光ホテル」として記載されている。単純に確認していなかっただけなのかもしれないが、災害直後という状況を考慮すると、ある程度はチェックしたのではないかとも思われる。以前紹介した資料のうち、絵はがきケーブル・ロープウェーの乗車券なども、ホテルの営業停止後に発行・使用されたと考えられ、また地元・灘区の方のツイッターでも1970(昭和45)年にマヤカンでの結構披露宴に行ったとの証言も確認される。これらのことから、摩耶観光ホテルの営業停止は1970年代前半に下る可能性が改めてクローズアップされる。マヤカンの歴史についての基本参考文献は『兵庫の素顔』の「軍艦ホテル」であり、1967年の営業停止もこれに依拠している。しかし、アールデコ様式をアールヌーボー様式としたり、開業年を「昭和七年春」とするが実際は昭和4年11月であったりと、不正確な記述も散見されており、この資料のみでマヤカンの歴史を固定化する脆弱性を感じさせる。


by nk8513 | 2020-03-07 18:34 | Comments(0)


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