2006年 03月 16日
資料紹介5 『春はまや山へ』まやケーブル(摩耶鋼索鉄道株式会社)、1937(昭和12)年〜39(昭和14)年の春頃 春はまや山へ1 ケーブル会社により作成されたリーフレット。タイトルから春季用のものと判断され、本文巻頭に「春は桜の名所花の摩耶山へ」とも記されている。ただし、この桜は「山上の楽園まや温泉は数千株の桜樹を移植し(中略)今や花の名所となりました」とあるように、新しくケーブル開通後に整備されたものである。六甲摩耶鉄道株式会社の社史(『六甲山とともに五十年』、1982)の年譜によれば、ケーブル開通の翌年1926(大正15)2月に「ケーブル遊園地200坪開拓 遊戯具設置、桜、楓、桃、梅等数百本を植樹」とあるので、ケーブル会社は当初より花見あるいは紅葉を摩耶山の観光資源の一つにしようと意図していたと推測される。 ※補足(2009.10.09):当初、発行年は1935(昭和10)年春頃と漠然と推定したが、ケーブル会社本社の所在地が1936(昭和11)年2月以降の「箕岡通四丁目六」と表記されているので、早くとも1936(昭和11)年春以降になる。一方、発行が36年夏および秋頃と考えられるリーフレット(摩耶観光ホテルについて9(資料6)、2006年04月および13(資料10)、2007年05月参考)では、所在地が古い「箕岡通四丁目七四五」のまま表記されており、これらを総合すると、発行年は1937(昭和12)年〜39(昭和14)年の春頃と推定される(摩耶観光ホテルについて18(資料15)、2009年10月参考)。 春はまや山へ2 まや山ホテル さて摩耶山温泉ホテルについては、以前紹介したガイドブックと同様に、「まや山温泉」(温泉の項目内に「余興場」)、「直営まや山食堂及ホテル」と同じ建物にあるにもかかわらず、項目を分けて紹介されている(写真・地図には「まや山ホテル」)。ホテルに関しては、宿泊・休息料金も記載されているが、 1935(昭和10)年頃のガイドブック(『近畿日帰りの行楽』大文館書店、1935)でも同じ価格で記載されている。また摩耶山周辺のハイキングコースが紹介されているが、ハイキング自体は1930年代半ばあたりから、新しい余暇として登場してきたものという(高岡裕之「戦争と健康」(『健康ブームを読み解く』青弓社)、2003)。これらのことから、このリーフレットもその頃に発行されたものと考えられる。 春はまや山へ3
by nk8513
| 2006-03-16 02:02
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