摩耶観光ホテルについて

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2005年 06月 06日

摩耶観光ホテルについて1(歴史1)

 摩耶山には,古くから中腹に天上寺という古寺が存在していた。主に近世から多くの参詣者が訪れるようになり,彼等によって同寺は大変賑わっていた。その当時、参詣者は摩耶山西側の谷筋の登山道(行者道)を使っていた。一方,近代になって近隣の六甲山に別荘地、ゴルフ場等が開発される中で、大正期から天上寺のあった摩耶山にも開発計画がもちがるようになった。そして1922(大正11)年10月,摩耶鋼索鉄道株式会社が設立され、25(大正14)年1月にケーブルカーが開業した。以降、摩耶山は近代交通機関の整備された観光地として、中腹の摩耶駅周辺の開発が行われるようになった(遊園地など)。現在、廃墟として有名になっている摩耶観光ホテル(通称・マヤカン)も、こうした状況において同地に建設されたのである。以下、年表風に同ホテルの歴史を記していく。


1.摩耶山温泉ホテル開業
1922(大正11)年10月
 摩耶鋼索鉄道株式会社 設立(阪神電鉄の関連会社)

1925(大正14)年1/06
 摩耶鋼索鉄道(摩耶ケーブル 高尾—摩耶 全長965m)営業開始

同年 9月
 摩耶山株式会社 設立(摩耶鋼索鉄道株式会社の関連会社)
  摩耶駅周辺に整備された摩耶山遊園地を経営
  食堂や遊戯具、動物小屋、ベビーゴルフ場、夏季テント村等
  さらに後には摩耶山温泉ホテルの経営も...

1929(昭和 4)年5/15
 ホテル工事開始

同年 11/06
 ホテル竣工(社史によれば「ほぼ完成」)

同年 11/16 (神戸新聞では11/17)
 仮営業開始 名称:摩耶山ホテル・摩耶山温泉ホテルなど
   工事費用30万円・鉄筋コンクリート4階建・総坪数750坪あるいは700坪
    *「700坪」説:1階-85坪、1階は165坪、3階-295坪、4階-155坪
   「アールヌーボー風の洋風ホテル」 →アールデコ様式の誤りか?
   L字型の形態、海側にせり出した部分が船のブリッジを想像「山の軍艦ホテル」
   1・2階(半地下式):ホテル部分 1階(和室)2階(洋室)計13室 
   3階:大食堂・娯楽場・浴場 4階:余興場(400人収容)
   「旅館兼料理屋、風呂場、餘興場がありレビューや映画をやる」
    →浴場を中心にした健康ランド的存在

1930(昭和 5)年4月
 ケーブル摩耶駅から、ホテル4階部へ直接連絡する渡廊下が完成
 (それまでは3階部分が入口)
  *同年のケーブル旅客人員、昨年度の1.5倍 →ホテル開業および海軍観艦式による効果?
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竣工間もない頃の摩耶山温泉ホテル(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

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竣工当時の余興場(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

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竣工当時の大食堂(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

2.ホテル閉鎖
1943(昭和18)年末
 六甲山方面からの軍用道路完成(後の奥摩耶ドライブウェイ)
    →摩耶山頂附近(掬星台)を高射砲陣地として整備

1944(昭和19)年2/11
 レールや車両等の供出のため摩耶ケーブルの営業休止
 ホテルは営業を継続...(?)
 「兼業の土地家屋及び温泉業は時局国策に副うよう営業継続」
  (『六甲ケーブル開業五〇年史』六甲摩耶鉄道株式会社、1982)
 軍用の施設か?
  →掬星台の高射砲陣地の存在、また戦後の米軍クラブの計画も戦中の状況と関連?

1945(昭和20)年
 摩耶ケーブル撤去

同年 8/15
 終戦 しかしそれでもホテル営業継続(?)
 「兼業の土地家屋及び温泉業(旅館および食堂)は営業継続」
  (『六甲ケーブル開業五〇年史』六甲摩耶鉄道株式会社、1982)
  →終戦まで特殊な形態での営業が行われたものの、その後は事実上の閉鎖?

1946(昭和21)年4月
 ホテルを「米軍の将校クラブ」にという計画にもとづき、ホテルの修理改造工事
 およびケーブルの復旧工事開始

同年 5月
 計画中止 ホテル・ケーブルの工事も中止
 以後、15年以上にわたりホテル閉鎖(第一の廃墟化)
   「無人化したホテルに引き揚げ者ら住みついた」
    →ケーブルが10年以上も休止していたことに原因...
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ホテル洋客室(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

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温泉浴場(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

by nk8513 | 2005-06-06 21:36 | Comments(2)
Commented by O-noli at 2006-05-27 10:48
お邪魔します。
こちらに東側の同様のアングルから撮られた写真がありますね。竣工時で、仰るとおり渡り廊下が見あたりません。

あの絵はがきの表のセンターラインにはKOBE AKANISHIとあります。裏の写真の左上には”(摩耶山名勝)山上ホテル附近”と書いてあります。
KOBE AKANISHIというのは観光絵はがきをつくっていた会社のようで、山上ホテルという傍観的な言い回しからも納得できます。
Commented by nk8513 at 2006-05-27 20:53
コメントありがとうございます。
確かに仰る通り、こちらのも東側でしたね。
ズームの差異はありますが、O-noliさんの絵はがきと比較するとこちらの方が工事完了直後のような荒さが目立つと思います。やはり竣工当時のものなのでしょう。
さてこちらで提示しました戦前のガイドブックやパンフレット類は、すべてケーブル会社発行です。しかし、絵はがき(摩耶温泉土産)やその他に収集したもの(摩耶山・ケーブル・天上寺関連 ブログ未掲載)には、「KOBE AKANISHI」のような製作者を連想させる記載はありません。おそらくはケーブル会社とともに、「KOBE AKANISHI」のような複数の業者が、摩耶山や六甲山を含めた神戸周辺の絵はがき集を出していたのでしょう。ですので、調べればまた未確認のものも出てくる可能性はありますね。O-noliさんが紹介された絵はがきは、そのことを教えてくれる貴重な資料だと思います。


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