摩耶観光ホテルについて

nk8513.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2005年 08月 20日

摩耶観光ホテルについて4(資料1)

資料紹介1 『摩耶山案内』摩耶鋼索鉄道株式会社、1929年

 ケーブル会社による摩耶山のガイドブック。出版は1929(昭和4)年12月で、マヤカンが竣工した直後である。ここでマヤカンは、「摩耶山会堂・摩耶山温泉・摩耶山ホテル・摩耶山食堂」などと一つの建物であるにもかかわらず、それぞれ独立した項目ごとに紹介されている。これ以降の文献や新聞記事でも様々に表記されており、どれが正式名称であったかははっかりしない。ただしそれらで比較的多かったのは「摩耶山温泉」であり、当ブログではそれがホテルであったことも含めて摩耶山温泉ホテルと表記した。

d0065273_14342138.jpg
摩耶山案内 表紙


d0065273_14344892.jpg
摩耶山案内1


d0065273_1435510.jpg
摩耶山案内2


d0065273_14351941.jpg
摩耶山案内3


d0065273_14353163.jpg
摩耶山案内4


d0065273_14354352.jpg
摩耶山案内5

# by nk8513 | 2005-08-20 01:51 | Comments(0)
2005年 06月 06日

摩耶観光ホテルについて1(歴史1)

 摩耶山には,古くから中腹に天上寺という古寺が存在していた。主に近世から多くの参詣者が訪れるようになり,彼等によって同寺は大変賑わっていた。その当時、参詣者は摩耶山西側の谷筋の登山道(行者道)を使っていた。一方,近代になって近隣の六甲山に別荘地、ゴルフ場等が開発される中で、大正期から天上寺のあった摩耶山にも開発計画がもちがるようになった。そして1922(大正11)年10月,摩耶鋼索鉄道株式会社が設立され、25(大正14)年1月にケーブルカーが開業した。以降、摩耶山は近代交通機関の整備された観光地として、中腹の摩耶駅周辺の開発が行われるようになった(遊園地など)。現在、廃墟として有名になっている摩耶観光ホテル(通称・マヤカン)も、こうした状況において同地に建設されたのである。以下、年表風に同ホテルの歴史を記していく。


1.摩耶山温泉ホテル開業
1922(大正11)年10月
 摩耶鋼索鉄道株式会社 設立(阪神電鉄の関連会社)

1925(大正14)年1/06
 摩耶鋼索鉄道(摩耶ケーブル 高尾—摩耶 全長965m)営業開始

同年 9月
 摩耶山株式会社 設立(摩耶鋼索鉄道株式会社の関連会社)
  摩耶駅周辺に整備された摩耶山遊園地を経営
  食堂や遊戯具、動物小屋、ベビーゴルフ場、夏季テント村等
  さらに後には摩耶山温泉ホテルの経営も...

1929(昭和 4)年5/15
 ホテル工事開始

同年 11/06
 ホテル竣工(社史によれば「ほぼ完成」)

同年 11/16 (神戸新聞では11/17)
 仮営業開始 名称:摩耶山ホテル・摩耶山温泉ホテルなど
   工事費用30万円・鉄筋コンクリート4階建・総坪数750坪あるいは700坪
    *「700坪」説:1階-85坪、1階は165坪、3階-295坪、4階-155坪
   「アールヌーボー風の洋風ホテル」 →アールデコ様式の誤りか?
   L字型の形態、海側にせり出した部分が船のブリッジを想像「山の軍艦ホテル」
   1・2階(半地下式):ホテル部分 1階(和室)2階(洋室)計13室 
   3階:大食堂・娯楽場・浴場 4階:余興場(400人収容)
   「旅館兼料理屋、風呂場、餘興場がありレビューや映画をやる」
    →浴場を中心にした健康ランド的存在

1930(昭和 5)年4月
 ケーブル摩耶駅から、ホテル4階部へ直接連絡する渡廊下が完成
 (それまでは3階部分が入口)
  *同年のケーブル旅客人員、昨年度の1.5倍 →ホテル開業および海軍観艦式による効果?
d0065273_23111512.jpg

竣工間もない頃の摩耶山温泉ホテル(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

d0065273_2323699.jpg

竣工当時の余興場(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

d0065273_23253954.jpg

竣工当時の大食堂(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

2.ホテル閉鎖
1943(昭和18)年末
 六甲山方面からの軍用道路完成(後の奥摩耶ドライブウェイ)
    →摩耶山頂附近(掬星台)を高射砲陣地として整備

1944(昭和19)年2/11
 レールや車両等の供出のため摩耶ケーブルの営業休止
 ホテルは営業を継続...(?)
 「兼業の土地家屋及び温泉業は時局国策に副うよう営業継続」
  (『六甲ケーブル開業五〇年史』六甲摩耶鉄道株式会社、1982)
 軍用の施設か?
  →掬星台の高射砲陣地の存在、また戦後の米軍クラブの計画も戦中の状況と関連?

1945(昭和20)年
 摩耶ケーブル撤去

同年 8/15
 終戦 しかしそれでもホテル営業継続(?)
 「兼業の土地家屋及び温泉業(旅館および食堂)は営業継続」
  (『六甲ケーブル開業五〇年史』六甲摩耶鉄道株式会社、1982)
  →終戦まで特殊な形態での営業が行われたものの、その後は事実上の閉鎖?

1946(昭和21)年4月
 ホテルを「米軍の将校クラブ」にという計画にもとづき、ホテルの修理改造工事
 およびケーブルの復旧工事開始

同年 5月
 計画中止 ホテル・ケーブルの工事も中止
 以後、15年以上にわたりホテル閉鎖(第一の廃墟化)
   「無人化したホテルに引き揚げ者ら住みついた」
    →ケーブルが10年以上も休止していたことに原因...
d0065273_23273685.jpg

ホテル洋客室(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

d0065273_2314345.jpg
温泉浴場(『摩耶山案内』摩耶山鋼索鉄道株式会社、1929より)

# by nk8513 | 2005-06-06 21:36 | Comments(2)
2005年 06月 06日

摩耶観光ホテルについて2(歴史2)

3.摩耶山頂地区(奥摩耶)の観光地化
1952(昭和27)年頃〜
 神戸市、奥摩耶ドライブウェイおよび掬星台の整備開始 →摩耶山の再・観光地化

1955(昭和30)年5/7
 摩耶ケーブル営業再開

同年 7/12 
 奥摩耶ロープウェー営業開始(摩耶—山上 全長826m 神戸市交通局)
  ↓
 掬星台周辺は奥摩耶遊園地となる
 屋根付きの展望台(虹のかけ橋)、食堂、売店、休憩所、各種遊戯施設等
 宿泊施設も整備(ホテル奥摩耶荘・ユースホステル・バンガロー村等)
 「ウイーク・デーでも千五百人、休日には六千人もの人たちが押しかけ」たという
 自動車・バスで行ける立地の良さ

 一方、戦前の摩耶山遊園地も摩耶ケーブル遊園地として再整備
 食堂や売店、展望台、バンガロー、遊戯施設が建設
 しかし戦前の賑わいを取り戻せず...
 原因:ケーブル摩耶駅周辺(中腹地区)は山頂地区への単なる中継点に
    すぎなくなった
    山頂地区とは異なり自動車道では行けない立地の悪さ
d0065273_23582412.jpg

摩耶観光ホテル時代の案内1(筆者蔵:月刊「神戸っ子」23号、1963年2月1日)

4.摩耶観光ホテル
1960(昭和35)年頃
 摩耶ケーブル遊園地の不振:立地条件の悪さ
 ケーブル旅客人員の減少:ケーブルとロープウェイの輸送人数のアンバランス
             による問題(長時間の待時間)
             モータリゼーションの影響(直接山頂地区へ)
  ↓
 閉鎖中の摩耶山温泉ホテル再開への動き(中腹地区活性化の目的)

同年 9/1
 摩耶ケーブルの親会社・阪神電鉄の意向によりホテルを関西のホテル業者に売却
 「破格値」(安価?)で売却 →ホテルの状態:かなり損傷?(廃墟化のため)
 ホテル業者、数千万円をかけホテルを改装 名称を摩耶観光ホテルに変更
  4階建を5階建に増築
  内装:フランスの豪華客船イル・ド・フランスの操舵輪・ステンドグラス・
     木製のベット等の家具・装飾品を使用
      →軍艦ホテルというイメージを利用した、より船舶らしいアレンジ

1961(昭和36)年8/26
 摩耶観光ホテル営業開始
 1・2階:ホテル客室 3階:ロビー・カジアルコーナ等 4階:大ホール・グリル等
 5階:大宴会場・中宴会場
   →グリルは元の屋外の展望台を転用 宴会場がグリルの上部に建て増し
 当時の案内:「三宮から二〇分、スモツグと喧騒から遮断されたユートピヤー」
       「神戸港を眼下に俯瞰し、背は峨々たる大自然を感じる仙境」
       「眺望絶佳 名物 炭酸温泉露天大岩風呂・三百畳敷の大広間」
       「パーティ・お食事・ご宿泊に山のレジャー・ホテル」
 名物:「楠公鍋」や「摩耶鍋」等の鍋料理(800〜2000円)
 季節ごとのイベント:ビアガーデン、お月見パ−ティー、クリスマスパーティー等
 ビアガーデン:屋上部分を利用 「スカイビヤガーデン」「空中ビアーガーデン」
        毎夜5時〜11時まで 
        土日には「有名バンドやダンシングチームの出演」
   →戦前の健康ランド的な摩耶山温泉ホテルと異なる宴会・パーティーを
    中心とした飲食主体の施設...

 *ケーブル旅客人員 1960(昭和35):42万人 1961(昭和36):52万人
           1962(昭和37):54万人  →ホテル開業の効果...
  ↓
 戦前同様の繁盛ぶり(短期間...▲)

1967(昭和42)年7/9
 台風から変わった温帯低気圧による集中豪雨のため、
 摩耶ケーブル付近で土砂崩れ発生
 この時にホテルも塩害等の被害を受けてホテル営業停止(第二の廃墟化)
  →ただし一説には1971(昭和46)年とも... 正確な年代特定はできず
   およそ1960年代後半から70年代初頭にかけて閉鎖?
d0065273_23495232.jpg

摩耶観光ホテル時代の案内2(筆者蔵)

d0065273_08108.jpg

摩耶観光ホテル時代の案内3(筆者蔵)

# by nk8513 | 2005-06-06 21:30 | Comments(0)