摩耶観光ホテルについて

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2017年 02月 10日

摩耶観光ホテルについて46(資料43)

資料紹介43 絵はがき集「摂津摩耶山 参拝記念 摩耶ケーブル」、摩耶鋼索鉄道株式会社

 ケーブル会社が発行した絵はがき集。構成は8枚組で、タイトル通りケーブルと天上寺を中心にしている一方、マヤカン(摩耶山温泉ホテル)は登場しない。発行年代は不明だが、マヤカンを撮影したものがないという点では、その竣工の1929(昭和4)年11月の以前に発行されたものとも考えられる。ただし絵はがき集のカバーには「昭和三年十一月下旬 単独参拝」とメモ書きされていることから、遅くともそれ以前には発行されていたものと想定される。なお絵はがきカバーの裏面には「摩耶鋼索鉄道株式会社特製」と赤字で印字され、さらに(25)という番号が記載されている。以前紹介したケーブル会社発行の絵はがき集(AB)では、(10)や(20)と記載されていることから、同社は発行されたものから順に番号を付けていたと思われる。

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表紙

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表紙裏面

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絵はがき1 摂津摩耶ケーブルカー急勾配の景 Ganeral View of Maya Cable Rail Kobe

 路線周辺は山肌が露出していることから、撮影時期はケーブル開通直後(と考えられる。なお英文のGaneralはGeneralの誤記と思われる。

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絵はがき2 摂津摩耶ケーブルカー(トンネル)の景 Mouth of Tonnel Maya Ceble Rail Line

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絵はがき3 摂津摩耶ケーブルカー急勾配の景 The Cantrl Points of the Maya Cable Rail-Way at Mt.Maya Kobe

 上部に展望台らしき建物が確認できる。なお英文のCantrlはCentralの誤記と思われる。

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絵はがき4 摂津摩耶ケーブルカー停車場 The Summit Station of The Maya Cable Car

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絵はがき5 摩耶山上ケーブル終点より見たる神戸市 A View from the Summit of the Maya Cable Car. Kobe

 駅の両側は山肌がむき出しなことから、開通間もない頃に撮影されたものと思われる。完全には確認できないが、1931(昭和6)年5月に完成した「ベビーゴルフ場」となった左の崖上もまだ整備されていないように感じられる。

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絵はがき6 摩耶ケーブルカー停車場より見たる神戸市 Birdeye View of Kobe, From Maya Cable Car.

 西灘から神戸中心地方面を望んでいる。海上には多数の船舶が停泊している一方、神戸側の山には樹木が少なく、草山あるいは禿げ山となっている様子が確認される。六甲山地は江戸期には薪炭目的で樹木が数多く伐採され、その多くが禿げ山状態であったことが知られている。明治後期以降は植林が進められたが、この時期にはまだこうした状態も残存していたようである。参考サイト:六甲山 森林整備戦略(神戸市 建設局 防災部)

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絵はがき7 摩耶山上 仁王門より天上寺に至る参詣道 A Path Leading to The Maya Temple

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絵はがき8 摂津摩耶山忉利天上寺本堂 Toritenjyoji(maya temple) at Mt.Maya Kobe

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絵はがき裏面


# by nk8513 | 2017-02-10 18:22 | Comments(0)
2016年 09月 02日

摩耶観光ホテルについて45(資料42)

資料紹介42 絵はがき集「国立公園 周遊指定地 摩耶山 NATIONAL PARK Mt.Maya, Kobe」1972~75年頃(昭和47~50)

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まや山 全景(部分)

 1972~75年頃(昭和47~50)に発行されたと思われる絵はがき集。発行は特に記載がなく不明(ケースにカラーを示す特徴的なロゴが描かれており、これが手がかりになるかもしれないが未確認)。構成は8枚だが、ケース部分を含めると実質9枚となっている。発行年については、はがき裏面の切手を貼る部分に「国内郵便¥10」と印刷されていることから、はがき送料が10円であった1972年(昭和47)2月1日から76年(昭和51)1月24日の間と推定される。ただしここに記載されている地図には、営業を停止していた、あるいは学生センターになっていたはずのマヤカンが「まや観光ホテル」として記載されている。よって、この絵はがき集より古い時期にその基礎となるものが発行されていた可能性も残されるが、一方で、以前紹介した住宅地図の状況と同様に、特に補足修正をせずに表記しただけのことかもしれない。

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絵はがきケースの表紙

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ケース全体

 絵はがき集としては珍しく「絵はがき 8枚組 ¥120」と明確に表記されている。

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ケースに記載れたイラスト地図・説明

 イラスト地図は摩耶山のみならず六甲山方面も含めたものとなっている。焼失前の天上寺や後でも紹介する「千万ドル展望台」、山頂部の「国民宿舎 神戸摩耶ロッジ」等の表記から、1970年代前半の状況を示している。ただしここには前述の通り、「まや観光ホテル」も記載されているが、何度も紹介したように、この時期にはホテルではなく学生センターとなっていった時期である。

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絵はがき1 国立公園・周遊指定地 まや山 全景 Entire view of National Park Mt. Maya, Kobe.

 確かに全景ではあるが、摩耶山を南から撮影しており、ケーブル摩耶駅の中腹部が前面で目立つ一方、天上寺および山頂部(奥摩耶地区)が後ろに配されている。特にケーブル摩耶駅の東側にマヤカンが大きな建築物として確認できる。その形状は、明らかに摩耶観光ホテル時代の5階部分が増設された姿で、現存のものとは異なっている。ここから見る限り、特に異常があるようには感じられないが、この絵はがき集が発行された1970年代前半には、マヤカンは67(昭和42)年の台風被害によりホテルの営業を停止し、新たに学生向けの簡易宿泊所(摩耶学生センター)としての営業を開始している。
 一方、ケーブル摩耶駅の西側にはいくつかの建物・施設が散見される。まず箱型の建物は、後でも登場する千万弗展望台(1970(昭和45)年3月竣工)である。そのすぐ背後にロープウェーの駅舎と、住宅地図に記載されていた「摩耶一茶」らしき建物が見えている。それらの左側に青屋根で白い2階建ての建物があるが、これはやはり住宅地図に記載されていた企業等の山の家とも思われる。これらに対して、千万弗展望台より下部の木立の中に確認される建物は、住宅地図に明確に記載されておらず、判然としない。まず展望台側に2ないし3つの建物があるが、大きさ・形状からバンガロー的なものと推察される。しかし1956年から64年頃の住宅地図に記載されたバンガロー村は、これより北西、以前紹介した「摩耶花壇」周辺にあって、これとは位置的に合致しない。これに対して、ケーブル会社の社史(年譜)によれば、1957(昭和32)年7月2日に「まやケーブル遊園地下にバンガロー村開村 10戸(1戸2~3人用)事務所、共同便所」、58(昭和33)年6月20日には「バンガロー増設 3戸増設(1戸4~5人用)事務所拡張 洗場新設」、62(昭和37)年6月10日「バンガロー増設 A型1戸(12人用)B型1戸(6人用)C型1戸(6人用)」、65(昭和40)年5月11日「バンガロー増設 A型1戸(12人用)C型をB型に改造1戸(6人用)」、さらに66(昭和41)年6月10日には「まやケーブル遊園地北側高台にバンガロー増設 A型1戸(12人用)B型1戸(6人用)」等と記載されている。よって、これらはこのバンガロー村の一部と想定される(左側の2階建のバンガローより明らかに大型の建物も、大型のバンガローか、バンガロー村の事務所と思われる)。同施設が何時営業を停止したかは記載されていないが、社史が発行された1982(昭和57)年までは営業を継続していたとも考えられる。いずれにしろ、住宅地図の記載とは若干異なる状態が存在していたようである。

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絵はがき裏面(絵はがき1の裏面)

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絵はがき2 国立公園・周遊指定地 まや山〔まやケーブル〕最新鋭のケーブルカーである。定員75名、線路延長965m、所要時間は5分、日本屈指の急勾配(約29°)を上下している。 Maya Cable-Car. National Park Mt. Maya, Kobe.

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絵はがき3 国立公園・周遊指定地 まや山〔ケーブル千万弗展望台〕ケーブルまや(山上)駅遊園地にあり、ここからの眺望、特に夜景はすばらしい。 Observatory near the upper station of Cableway. National Park Mt. Maya, Kobe.

 前回紹介した千万弗展望台である。竣工が1970(昭和45)年3月29なので、その直後から数年以内に撮影されたものと想定される。1階部分は桜の木々で確認できないが、実際には大部分が柱のみの吹き抜け状態となっていた。「UC」と表記された看板があるのが2階の喫茶室で、例のケーブル会社 社史によれば「喫茶室はUCC本社に委託経営、床はじゅうたん引きのかなりグレードの高い店造りをした」、「2階 軽食喫茶、客席数45席」等と記されている。UCCは1933(昭和8)年に神戸で開業した「上島忠雄商店」を母体に51(昭和26)年に「上島珈琲」が設立され、現在の「UCC上島珈琲」となった神戸のコーヒーを中心にした企業のことである(ホームページ参照)。ただし、同社は基本的に「Ueshima Coffee Corporation」を略したUCCを1970年頃から使用している一方、ここにはUCと表記されている。詳細は未確認であるが、同社は「上島珈琲店」を「珈琲館」等ともにチェーン展開させてきており、あるいはこの店舗をUCと略して表記していたのかもしれない。なお背後の市街地沿岸に薄茶に見えるているのは、当時埋め立て工事の進んでいた深江浜と思われる。現在はこの沖に六甲アイランド(1990年頃完成)がある。

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絵はがき4 国立公園・周遊指定地 まや山〔摩耶山忉利(とうり)天上寺〕仏母摩耶夫人をまつる。安産と学徳成就の守り本尊。弘法大師、豊臣秀吉、赤松円心など、ゆかりの諸史蹟がある。宿坊3軒、精進料理がでる。 Tenjoji Temple, Which is dedicated to Maya, the mother of Buddha. National Park Mt. Maya, Kobe.

 この写真が撮影された数年後にはこれらの伽藍はすべて焼失している。

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絵はがき5 国立公園・周遊指定地 まや山〔まや山から神戸港を望む〕まや山は海抜700m、みなと神戸を眼下に阪神間の街から紀伊の連山、淡路島が絵のように眺められる。 Bird’s-eye view of the Port of Kobe from Mt. Maya. National Park.

 前面には奥摩耶ロープウェーが写っているが、それに対する説明はなく、遠方に望む神戸方面の光景に焦点をあてている。最初に紹介した「まや山 全景」では、中腹部やケーブルが前面に目立つ一方、ロープウェーはほとんど確認できず、かつ山頂地区(奥摩耶)も遥か後方に配されている。さらに山頂地区では虹の架け橋やマウントコースターなどの遊園地は登場せず、後で紹介する摩耶ロッジが独自に取り上げられているだけである。これは考えすぎかもしれないが、ぞうもこの絵はがき集は山頂地区・ロープウェーよりケーブル・中腹地区を「優遇」しているようにも感じられる。なお先程の深江浜と同じく、埋立工事中のポートアイランドおよび先行して完成した神戸大橋(1970(昭和45)年竣工)等が確認される。

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絵はがき6 国立公園・周遊指定地 まや山〔まや山から大阪方面の夜景〕眼下に見る夜の展望は誰しもすばらしいと絶唱する。1千万ドルの夜景と形容されている。 The 10 million-dollar night view from observatory near the upper station of Cable way. National Park Mt. Maya, Kobe.

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絵はがき7 国立公園・周遊指定地 まや山〔国民宿舎、神戸摩耶ロッジ〕ロープウェー奥まや駅より徒歩6分。豊かな自然の緑と静けさ、すばらしい眺望に恵まれている。 Public lodging Kobe Maya Lodge. National Park Mt. Maya, Kobe.

 これも前回紹介した通り、1970(昭和45)年4月11日に「国民宿舎 神戸摩耶ロッジ」が営業を開始している。この絵はがきはそれから間もない時期に撮影されたと思われる。なおこの絵はがき集を入手した際、以下の摩耶ロッジの絵はがきも一緒に入っていた。おそらくは最初の所有者がここに宿泊した際に一緒に購入したものが混じったものかもしれない。

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絵はがき(参考) 国民宿舎 神戸市立 神戸摩耶ロッジ
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絵はがき(参考) 国民宿舎 神戸市立 神戸摩耶ロッジ(裏面)

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絵はがき8 国立公園・周遊指定地 まや山〔六甲山牧場〕スイスの山岳牧場を偲ばせる。しぼりたての牛乳が飲める。誰でも利用できる乗馬場の設備もあり、楽しい環境である。 Model Pasture. National Park Mt. Maya, Kobe.

 六甲山牧場は摩耶山の北、東西の六甲ドライブウェーと奥摩耶ドライブウェーとの分岐点付近にある観光牧場である。ホームページの沿革によれば、1950(昭和25)年に「スイスの山岳酪農をモデルに畜産振興と観光的色彩をもつ高原牧場の開設を企画し、5年間の牧草栽培試験を実施」し、56(昭和31)年に「動物(牛2頭、羊3頭)の放牧開始」、72(昭和47)年には「市内酪農振興の拠点として乳牛265頭、羊130頭」までになったという。ただし「一般開放」は1976(昭和51)年と記されていることから、この時期は現在とは異なり、限定的な営業であったと推測される。

# by nk8513 | 2016-09-02 13:14 | Comments(0)
2016年 08月 25日

摩耶観光ホテルについて44(資料41)

資料紹介41 住宅地図における摩耶山 その3(1971-76)

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地図1 『灘区 西部』ゼンリン、1971

 1971(昭和46)年発行の住宅地図による摩耶山。発行者は1969(昭和44)年版と同じくゼンリンであり、範囲もほぼ同一だが、道路や等高線などの表記が若干変更され、より正確さを重視した形態となっている。内容的には以下のような変化が確認できるが、マヤカンを含め全体的には大きな違いはない。
 ケーブル摩耶駅周辺:例によってマヤカンは「摩耶観光ホテル」のまま記載されている。以前紹介した資料では、この頃から管理人が居住を始めているとされている(1974(昭和49)年から学生センターとしての営業を開始)。次に注目すべきには、摩耶駅の西側にあった「子供スポーツカー乗り場」(69年版から記載)の南側に「千万弗展望台」が記載されていることである。これはケーブル会社の社史で紹介されている1970(昭和45)年3月29日から営業を開始した「コンクリート製2階建展望台」と思われる。同所には1958(昭和33)年8月21日に竣工した「木造展望台」があったが、「施設がお粗末で、木造で屋根もなく、台風のたびに補強修理を重ね風雨、寒冷の日には誰も寄りつかなかった。また、当時の摩耶山には若者向きのシャレた喫茶店もなかった」ためにこの展望台を建設したという。「1階と屋上は展望台で、2階は喫茶室」となっていたようであり、「当初はもの珍しさもあってなかなかの好評で予約貸室、会議、ダンスパーティなどのグループ利用が多かったが、すぐ後ろにもう一つ高い山があって、より高いところへ登りたい、という心理が働き、顧客需要の変化から現在(筆者注:1982(昭和57)年)は夏季のみ直営で営業している」と社史に記載されている。ここには昭和30年代以降の摩耶山頂部(奥摩耶地区)における遊園地等の開発、および1976(昭和51)年の天上寺焼失の影響を窺わせている。この展望台は、その後90年代前半の住宅地図までマヤカンと同様に記載されているが、震災後は名称が記載されず空白となり、2000年代に入ると建物が取り壊されたようで、記載されなくなっている。ただし、筆者が初めて摩耶山を訪れた1989(平成元)年には、すでに閉鎖され立ち入り禁止となっていたことから、80年代後半には喫茶室の営業を停止していたと推測される。コンクリート製とはいえ、かなり華奢な造りで、耐久性が十分ではなかったと思われる。一方、例の摩耶花壇と思しき施設(69年版は「アキヤ」)は記載されているが名称は無記載、その北西にあった茶屋(69年以前では個人名)も同様に無記載のままとなっている。
 天上寺周辺:69年版からの変化は特に見られない。
 山上(奥摩耶)地区:注目されるのが、69年版で建築中であった「奥摩耶国民宿舎」が「神戸摩耶ロッジ国民宿舎」と記載されている部分である。ケーブル会社 社史の年譜によれば、1970(昭和45)年4月11日に「神戸市営国民宿舎「神戸摩耶ロッジ」開業」と記載されており、これを反映したものと考えられる。他に「マヤ山上駅」の西側に「NHK摩耶山放送所」が設置、69年版まで記載されていたジェットコースター南にあった「みはらし亭」が記載されなくなった等の変化が確認される。

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地図2 『灘区 西部』ゼンリン、1974

 1974(昭和49)年発行の住宅地図による摩耶山。71年版以前と同じ範囲だが、等高線・道路を簡略化し、各施設の表記を大きく描いている。正確さより実用性を重視した形態に変更されている。71年から内容的に変化は確認できないが、マヤカンの表記がこれまでL字だったが単純な四角形で表現されている。

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地図3 『灘区』ゼンリン、1976

 1976(昭和51)年発行の住宅地図による摩耶山。74年版と形態は同一であり、マヤカンのあるケーブル摩耶駅周辺や山上(奥摩耶)地区に特に変化は見られない一方、天上寺周辺は大きく変貌した状況を確認できる。これは当然、同年1月30日に発生した天上寺伽藍の焼失の結果である。「本尊観世音(本堂)」「護摩堂」は記載されているが、74年版ではその周囲に存在した「摩耶夫人堂」「二重塔」「休憩所」「鐘楼」「大乗院」および住職の住居がすべて記載されていない(実際には本堂・護摩堂も焼失)。一方、これら伽藍より下部にある「蓮花院」「王蔵院」「一願地蔵」「神戸高校 磊磊舎 静嘿園」「大門」はそのまま記載されている。
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地図4 『灘区 西部』ゼンリン、1974(天上寺付近)
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地図5 『灘区』ゼンリン、1976(天上寺付近)

 詳細は未確認だが、どうも火災は天上寺の上部部分のみであったようで、参道の階段途上にあった上記施設群には被害が及んでいなかったと推測される。実際、これらの建物の一部は現在でも廃墟状態で残存している点もこれを裏付けている。しかし、天上寺は以前紹介した通り、摩耶山頂部の摩耶別山に移転することになり、これらの建物のうち一部は取り壊され、また一部はそのまま放棄されていったと思われる。このように76年の地図では、天上寺部分が大きく変化しているが、この影響もあってケーブル摩耶駅周辺の施設もこの後徐々に閉鎖・取壊しが相次ぎ、その衰微が進行していくことになる。
 追記:個人名についてはすべて修正した。

# by nk8513 | 2016-08-25 14:16 | Comments(0)